バウハウス(ロックバンドの。)が来日したとき。その1。

今回も、よろしくお願いします。

昭和末期の頃の話となりますが、イギリスにバウハウスというバンドがありました。ご存じの方も多いかと思われますが、近年、再結成されました…個人的には、そういうことはして欲しくなかったですね。

バンドのフロントマンのピーター・マーフィーは、若い時分には、「ぼくは長く生きない。若いうちにエイズで死ぬんだ!」とのたまわっており、この発言は、かのアクセル・ローズの、「若いうちに自殺する。そのときは、ウージーのサブマシンガンを使う!」という発言と並ぶインパクトがあったものでした。

ロックの人に言行一致を求めても仕方ないのですが、それにしても、約束は守られないものです。

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さて、そのバウハウス(再結成前)ですが、暗闇の天使というアルバムが有名です。そして、そのジャケットに男性のイチモツが映っているために、いかに芸術的表現でも本邦では、特に昭和の時代では、許されません。ボカシが入りました(モザイクではなかった。…かえって、猥褻だからなあ。現在は、しっかり映っているようです)。

そんなことでも、かすかながら、話題になりました。

ほか、このバンドが局地的に盛り上がったトピックというと、「非常に暗い」というのと、「重くてやりきれない」という、当時としては特異なサウンドと歌詞の傾向でした。

…今、改めて聴いてみると、そういう部分も、さほどではないし、どちらかというと、大げさでわざとらしく、稚拙な感は否めませんが、当時、まだ思春期だった私には、衝撃的でした。

私の場合、思春期で、そのうえに問題だらけの家庭に育ち、学校では「のけ者」にされ、家にも外にも居場所がなく、しっかりと鬱病を患い、ストレスで内臓まで壊れて、常にエネルギー状態推定5%くらいで、かろうじて、なぜだか生存している、という存在だったため、バウハウスのサウンドのインパクトは大きく、一時期は、ほとんど毎日、聴いておりました。

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同じ時期に、やはりイギリスに、これも伝説的なジョイ・ディヴィジョンという、同じような傾向を持つバンドがありました。

こちらの方は、ヴォーカルのイアン・カーティスが正真正銘の破瓜型統合失調症で、たびたびステージ上で、てんかんのような発作を起こすうえ、しっかりと自殺して、バンドをそれで解散させてしまったという、言葉数は少ないが、しっかりと、やることはやる、という、ロックでは珍しい、テロリスト適性の高いフロントマンを持っていたためか、危険性や劇物性はバウハウスよりも、かなり高度だったように思えます。

ただ、バウハウスの方が、ジョイ・ディヴィジョンと比べると、サウンドがポップで、ヴィジュアルが圧倒的に良かった…

じつは、当時は、そんなことまで気が回らなかったし、LPレコード(当時ですから)を、立て続けに買うのは、学生にはキツかったので、はじめに手に入れたバウハウスの方を、聴き込んだわけでした。

                 

 

…今思うと、ジョイ・ディヴィジョンでなくて、良かったように思えます。危ないから。

知る由もありませんでしたが、当時、イギリスでは、こういうダーク系のロックバンドが、ちょっとだけ流行ったらしく、ほかにもミッションという、流行のあだ花となったバンドがあり、マガジンというバンドも、こっち系統といえるかもしれません(双方とも、かなり良質なアルバムを発表しています。特にマガジンが出した二枚のアルバムは良いようです)。

なにしろ、その頃というと、情報源が非常に限定的なのです。ネットも衛星放送もありません。アメリカとソ連が冷たく戦っています。

イギリスのマイナーなロックバンドのトピックなど、あまり気が進まない雑誌で手に入れるくらいしか手がないのです。または、レコード屋を回って、何か出ていないか、探る。

あとは、新聞、雑誌などの広告です…来日するミュージシャンの公演予定が掲載されますから。

そういう手段で、たしかな情報を得るには、砂金採取みたいな気分を味わうことになりますが、何かを得たときの喜びと興奮はかなりのものです。しかも、そうした高揚感は、あまり役に立たなかったりしますね…。

いつも通り、鬱々と鬱陶しいある日、何で見つけたのか、それが記憶にないのですが、掲載されておりました。

バウハウス来日。

まじかよ。

<次回に続きます。>