バウハウスが来日したとき その2

ライブが行われた場所は、たしか渋谷公会堂でした。渋谷という街も、今ほど垢ぬけていなくて、いろんなところに、中古レコード屋や楽器屋が点在しており、そういうところに、学校帰り、行き場がよくわからない私みたいな人が徘徊していたり…。

たしか、学校からそのまま、ライブ会場に行ったような記憶があるんですね。学生服着て行ったように思えます。

会場に着いて、いちばん驚いたのが、客層でした。

当たり前にバウハウスのファンが来るわけでしょうけれど、お客さん、ずらっと黒ずくめなんです。ほとんどが女性でしたが、今でいう、ゴシックパンク、という装いでしょう。

しかし、あの当時、髪を逆立てたり、モヒカンにしたり、あるいは、歌舞伎の隈取さながらのアイラインを、ブラックで太く入れたり、などというのは、相当に勇気と覚悟がなくてはできない時分でしたが、そういう人が、かなりの数、いたのですね。

で、彼らはとにかく、喋りません。だから、不穏な雰囲気が高まる一方…

私は二階席で、周囲はみんな、一人で訪れている、ゴシックの女性陣。私をふくめて、ずらっと、鬱的ムードを放っているのだから、演奏者たちは、因果応報とはいえ、キツイものがあったでしょうなあ…!

ステージ中央に、マーシャルのキャビネットが三台積みされていて、ギタリストが出て来るや、暗鬱なコードをかき鳴らします。

たしか、会場、ちょっとざわついたくらいで、基本、静かなんですね。

ただ、まだ感性が鈍く、そのうえ病気で鈍麻していた私にも、会場全体に熱気が充満して、汗ばんでいくのがわかりました。こうした緊張感のある盛り上がり方は、格闘技の会場に似ていて、あまり音楽のライブでは体験できないものだったように記憶しています。

会場が静かな興奮に包まれ、お客の声も聞こえるようになったのは、やはり、ヴォーカリストでバンドの「顔」であるピーター・マーフィーが登場してからでした。

がりがりに痩せた体躯の、彫りの深い美男子で、それが低い声で地響きのするような歌唱をするという、やはりモテ要素はミスマッチから、という見本といえる人物…

Guitarist on stage for background, soft and blur concept

バウハウスって、基本、slowでheavyで、気だるい楽曲が主体なのですが、轟音でそれらを連発して、会場に「うねり」みたいな空気が出てきたあたりで、まだレコードでは出ていなかった「テレグラム・サム」などの、アップテンポの激しい、しかも痙攣的なナンバーが入ってくるから、会場は異様な盛り上がりを見せました。

観客は総立ち。私の周囲のゴシックガールたちは、体を少し弾ませながら、微妙に回旋させるという、不思議なムーブで踊っていた…というか、操られていたとしか……

ライブが最高潮に達したのは、細身のピーター・マーフィーが、そのまま「骸骨」、スケルトンに扮したときです。

緑の蛍光塗料で骸骨が描かれている、真っ黒なタイツで全身を包む、という、真似をしたら、ほとんどの男が即・変質者の烙印を捺されてしまういで立ち。

曲は「ベラ・ルゴシの死」だったかなあ…それを歌いながら、客席に踊り込んだ彼は、踊り狂いながら、お客の間を歩き回り…

そんなこんなで、忘れられない光景とサウンドに満ちたライブでした。

あのときのゴシックの人たち、どうしているのだろう…

バウハウス(ロックバンドの。)が来日したとき。その1。

今回も、よろしくお願いします。

昭和末期の頃の話となりますが、イギリスにバウハウスというバンドがありました。ご存じの方も多いかと思われますが、近年、再結成されました…個人的には、そういうことはして欲しくなかったですね。

バンドのフロントマンのピーター・マーフィーは、若い時分には、「ぼくは長く生きない。若いうちにエイズで死ぬんだ!」とのたまわっており、この発言は、かのアクセル・ローズの、「若いうちに自殺する。そのときは、ウージーのサブマシンガンを使う!」という発言と並ぶインパクトがあったものでした。

ロックの人に言行一致を求めても仕方ないのですが、それにしても、約束は守られないものです。

Human resources department managers sitting and interviewing female businesswoman applicant or candidate during job interview in modern office. Business recruitment concept

さて、そのバウハウス(再結成前)ですが、暗闇の天使というアルバムが有名です。そして、そのジャケットに男性のイチモツが映っているために、いかに芸術的表現でも本邦では、特に昭和の時代では、許されません。ボカシが入りました(モザイクではなかった。…かえって、猥褻だからなあ。現在は、しっかり映っているようです)。

そんなことでも、かすかながら、話題になりました。

ほか、このバンドが局地的に盛り上がったトピックというと、「非常に暗い」というのと、「重くてやりきれない」という、当時としては特異なサウンドと歌詞の傾向でした。

…今、改めて聴いてみると、そういう部分も、さほどではないし、どちらかというと、大げさでわざとらしく、稚拙な感は否めませんが、当時、まだ思春期だった私には、衝撃的でした。

私の場合、思春期で、そのうえに問題だらけの家庭に育ち、学校では「のけ者」にされ、家にも外にも居場所がなく、しっかりと鬱病を患い、ストレスで内臓まで壊れて、常にエネルギー状態推定5%くらいで、かろうじて、なぜだか生存している、という存在だったため、バウハウスのサウンドのインパクトは大きく、一時期は、ほとんど毎日、聴いておりました。

                 ☆

同じ時期に、やはりイギリスに、これも伝説的なジョイ・ディヴィジョンという、同じような傾向を持つバンドがありました。

こちらの方は、ヴォーカルのイアン・カーティスが正真正銘の破瓜型統合失調症で、たびたびステージ上で、てんかんのような発作を起こすうえ、しっかりと自殺して、バンドをそれで解散させてしまったという、言葉数は少ないが、しっかりと、やることはやる、という、ロックでは珍しい、テロリスト適性の高いフロントマンを持っていたためか、危険性や劇物性はバウハウスよりも、かなり高度だったように思えます。

ただ、バウハウスの方が、ジョイ・ディヴィジョンと比べると、サウンドがポップで、ヴィジュアルが圧倒的に良かった…

じつは、当時は、そんなことまで気が回らなかったし、LPレコード(当時ですから)を、立て続けに買うのは、学生にはキツかったので、はじめに手に入れたバウハウスの方を、聴き込んだわけでした。

                 

 

…今思うと、ジョイ・ディヴィジョンでなくて、良かったように思えます。危ないから。

知る由もありませんでしたが、当時、イギリスでは、こういうダーク系のロックバンドが、ちょっとだけ流行ったらしく、ほかにもミッションという、流行のあだ花となったバンドがあり、マガジンというバンドも、こっち系統といえるかもしれません(双方とも、かなり良質なアルバムを発表しています。特にマガジンが出した二枚のアルバムは良いようです)。

なにしろ、その頃というと、情報源が非常に限定的なのです。ネットも衛星放送もありません。アメリカとソ連が冷たく戦っています。

イギリスのマイナーなロックバンドのトピックなど、あまり気が進まない雑誌で手に入れるくらいしか手がないのです。または、レコード屋を回って、何か出ていないか、探る。

あとは、新聞、雑誌などの広告です…来日するミュージシャンの公演予定が掲載されますから。

そういう手段で、たしかな情報を得るには、砂金採取みたいな気分を味わうことになりますが、何かを得たときの喜びと興奮はかなりのものです。しかも、そうした高揚感は、あまり役に立たなかったりしますね…。

いつも通り、鬱々と鬱陶しいある日、何で見つけたのか、それが記憶にないのですが、掲載されておりました。

バウハウス来日。

まじかよ。

<次回に続きます。>

ドラッグの歌群。

お久しぶりです<m(__)m>

今回から、画像が添付できるようになりました。簡単なことでしたが、苦心しました。

今回、お付き合いいただいた方々には、洋楽のドラッグ関連の歌、というか、曲の話題を…。

私は、若年期に「うつ」を患ったため、必然的に引きこもったりすることになり、友人知人などを失ってしまいましたので、体を動かす元気など皆無だったから、ギターなどにはまっておりました(現在は、完全に復活しております。)

今思うと、それで左右の指を個別に動かす訓練をしたのが、いろんな意味で良かったのではないかな、などとも思えるのですが、そんな話は、またいずれ。

で、はじめのうちはクラシック音楽を聴いていたものの、当たり前のように、軽音楽に傾倒するようになり、なかでも、洋楽ロックに突っ込んでいく流れになったのでした。

なにしろ、昭和の当時は、今のように、かなり正確な歌詞が、すぐに検索で見つかったり、かなり適切な翻訳がすぐに手に入る時代ではありません。

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」(架空の人物名です。ボウイ自身がステージで、このキャラに扮しました)が「屈曲する星くず」という邦題で発売されたり、エアロスミスの「ウオーク・ジス・ウェイ」(だったかな?)が「お説教」という邦題だったり、ザ・フーのアルバムに「俺は百姓」という曲があったりで、なかなか、いい加減な仕事がまかり通っていたように思えます。

こちらもまだガキといえばガキでしたから、まともな英語など、じつのところ、あまり理解できていませんので、洋楽が好きでも、曲を覚えるのが大変でした(別に歌詞覚えなくてもいいかもしれないんですが、意味不明でも、覚えたくなるもんですねえ・・・!)。

…いったい、なんの話をしたかったのか、よくわからんようになりました(呆然)。

なので、タイトルに回帰します。

70年代の洋楽ロックの世界に、たぶん一ジャンルといえると思うのですが、ドラッグソング群がありました。

今となると、そういうのは歌ってもいけないし、そのような曲はなかったこと、とかになっているらしき雰囲気なので、忘れ去られていくのかも、しれません。

…昔、保守的なエド・サリヴァン・ショーだかに出演したドアーズのジム・モリソンが、大ヒット中の「ハートに火をつけて」を歌う、事前に局側から、歌詞のなかにある「higher」の部分を、ほかの言葉に差し替えろ、と言われたのに、そうしなかったから、出禁だかになった、という逸話がありますが(ハイ、は、ドラッグで気分が「飛ぶ」、いい気持になった、みたいな意味合いのようです)、今は、世界的に、エド・サリヴァン・ショーみたいになったらしく…

本当に、70年代の曲の歌詞のなかに出てくる薬系の「high」の部分が、リメイクのときに、別の「人にやさしい」言葉に差し替えられていたりしています。

エリック・クラプトンの「コカインとか、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ヘロイン」などという曲は、どう扱われているのだろう…前者などでのクラプトンのギターは、素晴らしいのですが、アルバムから削除されたりして…。

たしか、少し前でしたら、イギー・ポップが明らかに、何かとんでもないものを摂取したらしき、獣のような目で、客を煽りまくるライブ映像や、ほとんどゾンビ状態でステージに佇立しているジョニー・サンダースの姿などが、YouTubeで視聴できましたが、今は、そういう映像もなくなっているようです。

ニール・ヤングが、有名なコンサートで、両方の鼻の穴にコカインの塊を突っ込んだまま、ハイテンションでギターを弾くという、物凄いシーンもあったのですが、噂では、その映像はCG加工されて、コカインだけが消去されたそうです。

さすがに、ニール・ヤングを映像から消去する措置は取らなかったみたいですね。

次は、ステロイドですね…!

熱血硬派!くにおくん、の思い出

おはようございます。

なんの因果か、このブログを読んでくださる皆様、ありがとうございます。そのうちに、画像やらメールやら、できるようにいたします。といって、メールを送付されても、たいてい、スルーで終わりますので、そのあたり、よろしくお願いします<m(__)m>

さて。タイトルです。

バブル期のスーパーファミコンのソフトの話になります。

当時、若かった私は、本を読むのに忙しく、スーファミとかはさほど、やっていないので、「ゼルダの伝説」とかの、レジェンドになっているようなソフトの、ほぼ全てを体験したこともありません(かろうじて「スーパーマリオ」くらいは、最初のあたりだけやったかな…)。

そんな私が、ラストまでやり抜いてしまったソフトがこの「熱血硬派!くにおくん」なる、バイオレンスに満ちた、破壊的でカオティックな、ひたすら常軌を逸した作品です。

全体を通して、現在では間違いなく「R指定」にしかならないような、理不尽なまでに過激なストリートファイトの当事者にならなくてはならず、そうすることで、たしか、誘拐・拉致・監禁されているガールフレンドを救出しなくてはならない、という、犯罪そのものを描いたソフトでした。

プレイヤーは「熱血硬派」である「くにお」というヤンキーにならなくてはいけません。

また、ゲーム展開はいわゆる「横スクロール」で、登場人物は「三頭身、ちょいかわ」、そしてチープなBGMが絶えず流れるという、遣る瀬無いファミコン仕様なので、これがために、繰り広げられる暴力と惨劇が、コミカルなギャグに見えてしまう、という、絶妙のタッチが生まれているのですねえ…

「くにお」はたしか、丈の長い「白ラン」にリーゼントだったか…敵対する人間の襟をつかんで、パンチを顔面に連打する「技」とか、「巴投げ」などが使えたような…

そんなヤンキーを操りつつ、舞台となる大阪の街を徘徊するところから開始するのですが、この大阪の街というのが、阪神電鉄沿線界隈なんです。なかなか、「いちげん」が足を踏み入れがたい区域でして、くにおはそこで、情報を得るために、地元民を片っ端から、どつき倒します。

…このゲーム、人と遭遇すると、ボタンによる選択肢が「つかむ」、「なぐる」、「ける」くらいしかなく、「話す」とか、「しらべる」とかが選べないから、仕方なく、通りがかりの禿頭のおっさんなどの襟首をつかみ、殴り倒し、馬乗りになってパウンドでとどめを刺し、おっさんの腹巻から飛び出した千円札をゲットしたりします(これは強盗致傷罪でしょうが、警察は、来ません)。

このステージで注意すべきは、パーマをかけた太ったおばさんです。

このおばさんは、体力、攻撃力ともに、おっさんをはるかにしのぐうえ、襟をつかんで動きを封じての連続ビンタ、という必殺技があり、序盤のくにおは、しばしば、この絶技によって絶息に至ります。

また、このおばさん、KOすると、「ひどいひとやわ」などと、世迷言を遺すため、心理的にも後味が悪いので、要注意といえました。

次のステージになると、甲子園球場周辺を徘徊することになります。

ここでは必然的に、「泥酔した阪神ファン」との対決が避けられなくなります。

この阪神ファンには、雑魚キャラながら、それぞれ名前が付されており、それが「かけふ」、「おかだ」、「まゆみ」、「ばあす」など、往時のファンならば狂喜するか激怒するはからいが、なされていました…

「泥酔した阪神ファン」は、キチ、がキチを作る水でキチになっているうえ、徒党を組んでいるため、きわめて厄介な相手となるため、死闘を余儀なくされます。

なにしろ、くにおは熱血硬派ゆえ、単騎ですが、向こうは大勢で、おまけに酔っています。

一発、良いパンチをもらって転倒すると、集団によるストンピング攻撃で、一気に落命する羽目になります。

また、「ヘッドロックから頭部へのメガホン連打」や、一人に背後から羽交い絞めされたところに、「駆け込んでのメガホン強打」などの、破壊力満点の技があるため、少なくともくにおとしては、背後の相手を肘打ちで倒す、あるいは、髪をつかんで投げ飛ばす、などの技法をマスターしておかなくてはなりません。

ただ、阪神ファンの場合、もっとも警戒しなくてはならないのが、背後に回ってから繰り出されるジャーマンスープレックスです。

路上でのこの技は、ドニー・イエンの映画を見るまでもなく、殺傷力甚大で、体力が満タンのくにおが、一発で絶命するほどでした。

…このように記していくと、キリがないので、その他の、感慨深いシーンを抜粋します。

後半では、くにおにも、一人、仲間ができます。類は友を呼び、同じく中二病の人です。

で、暴走族ともバトルしなくてはならず、これは、バイクを駆って、暴走族の群れに突っ込んで並走しつつ、隣のバイクを蹴って、転倒させていく、という、これだけで大事件になってしまう内容です。

また、ラスト、ガールフレンドが拉致・監禁されているのは、高級住宅地のマンションの一室に設けられた鉄格子の牢屋で、その牢屋が隠されている、無駄なまでにゴージャスな調度に満ちた部屋で、くにおたちを待ち受けているのは、ヤ〇ザです。

どういう理由で、そんなことをしているのか、よく覚えていないのですが、トラだかヒョウだかの毛皮みたいな上着を着たこの極道は、ここまで殺人を繰り返しつつたどり着いた学生二人に対し、次々とチャカをぶっ放します。

さすがに銃弾となると、一発食らうとスピードが半減し、二発もらえば絶命してしまいますが、救いは、これがリボルバーだった点でした。

つまり、六発かわせば、手元に入って叩き落せば、チャカ攻撃はなくなります。

とはいえ、相手は「本職」なので、その場合、素早く飛び出してくるドス攻撃

これも刃物ですから、三回も刺されると、もういけません(このあたり記憶が曖昧です。この刃物攻撃は、ラスボスのものだったか、それとも、その前に「ちんぴら」なる連中が用いていたかもしれません…いずれにせよ、お子さんもプレイするゲームでやすやすと採用されるアイディアとは、とてもではないが言い難い。)。

……まあ、このような内容のゲームが堂々と発売されていたのだから、昭和って凄いな、としかいえませんが(ひょっとしたら平成初期かも)、繰り返しになるけれども、「横スクロール」、チープなBGM、あと、「三頭身のキャラたち」という配合がはまって、コミカルでしかないゲームでした。

これだけは、もう一回、やってみたいな、と時々思います。

心霊体験(ニアミス篇)

久しぶりの投稿となります。

今回は、夏にふさわしく、私のささやかで、数少ない心霊体験のひとつを語ろうと思います。タイトルにも記したとおり、あくまで「ニアミス」に過ぎないものですが、いまだに生々しい感触のようなものを心に遺しています。

昭和の時代、まだバブル景気の前のことです……私が、小学校の高学年(たしか五年生あたり)の頃で、私が住む都内の某区は、まだ緑が濃く、夏にもなると、セミの声がやかましいほどだった記憶があります。

夏休み前後の事件だったように記憶しているのですが、当時の新聞の夕刊で、三面に大きく掲載された惨事がありました。

それは、高速道路で居眠り運転をした女性教師が、中央分離帯に衝突して、車は大破、本人は即死した、という痛ましい内容のものでした。

この事故が、三面記事で大きく取り上げられた理由はわかりませんが、当時、そんなものに目を通さない学童の私が、どうしてそれをよく知っているかというと、自宅で父が、

「おい、これ、お前の学校の先生じゃないのか?」

と、私にその紙面を突き付けてきたからです。

……私は、その「先生」の名前は知りませんでした。

しかし、その女性の勤務先とされているのは、たしかに、当時の私が通っていた、公立の小学校でした。

新聞という公器に大きく掲載されるような事件が、いきなり自分の実生活とリンクするというのは、気持ちの良い体験ではありません。

まして、いかに悲劇だとはいえ、惨事です。自分が肌身で接触したものではないのに、なんらかの形で、強引にそれに巻き込まれてしまった、というと大げさですが、ちょっとそれに近い、厭な感じがしてなりませんでした。

とはいえ、やはり元気な頃ではあります。

翌日は、そんなことは忘れて、いつも通り登校したのでした。

日差しの明るく、きれいな朝だった記憶があります。

登校の道のりで、親しい友達と、次々に出会い、そのまま喋ったりはしゃいだりしながら、学校に向かうのが常でしたが、そのときは、とりわけ親しくしていて、いつも登校時は別々の、友達が二人、一緒でした(二人とも、男の子、です。この二人とは、自宅の位置の関係で、登下校が一緒になることは、ほとんどなかったのですが、どういう事情でこのとき一緒だったのか、わかりません)。

三人で何か愉快なことを喋りながら、校舎に入る。そして、いつも通り、教室のあるフロアへの階段を昇る。

――そのとき、私は、おそらく運が良かったのか、あるいは何かに守られていたのか、ずっと視線を足元に落としたままでした。

つまり、うつむいたまま、階段のステップを見ながら、それを昇っていたのです。

そんな私の耳に、一緒に階段を昇っている、二人の友達の明るい声が、はっきりと聞こえました。

「おはようございます!〇〇先生!!」

……異変に気付くまでに、さほど時間がかかりませんでした。

私は驚嘆して、戦慄しながら顔を上げたのです。

なにしろ、友達二人が揃って口にした名前は、まさに、昨夜、夕刊に記載されていた、高速道路で事故死した、女性教諭のものだったからです……。

私は、狼狽しながら周囲を見回したものの、幸い(?)女性教師らしき人影はありませんでした。

しかし、おそらく青ざめて、度を失った私の様子に、友達たちがすぐに気が付きました。

「どうしたの?」

「え?だって、ほら…! 知らなかった? 〇〇先生、って。昨日…」

たしか、そんな言い方で、察してもらおうとした覚えがあります。なにしろ、事件その他の、自分の知る限りの詳細を口にすることは、憚られたのです――死者を悼んだのではなく、もし、そうしてしまえば、死者が眼前に姿を現すかもしれない、と危惧したのです。

同じような気持ちを、二人の友人はほぼ同時に抱いたのでしょう。彼らはもうすでに、「出会って」しまっているのですが、それ以上の浸食を、許容できるわけはありません。

だから、なのか、彼らは急に、キツネにつままれた、というのか、あるいは、ぶっきらぼう、というのか、ある種の、表情のまったくない顔になって、ほぼ同時に、こう言い放ちました。

「何言ってんだよ! 誰にも会ってねえよ!」

力のない断言でした。そしてそのまま、彼ら二人は、おそらくその日のうちに、この体験のことを、すっかり忘却してしまったのです!

……後に、いわゆる心霊体験、恐怖体験というものをする人の、かなり多数が、このときの二人のような態度を見せることに、私は気が付きました。

忘れる、あるいは忘れたふりをして、そのまま、思い出さないように全力を尽くす。

あるいは、たしかに「それ」を体験している、その最中に、おそらく、あらゆる感覚を閉ざして、現象をやり過ごしてしまう…

そして、後になって彼らは、当時の友人たちと、ほぼ同じことを言うのです。

「何言ってるんだよ! そんなこと、起こってないよ!」。

内観。

少し間が空きました、お久しぶりです<m(__)m>

今回は、昔からあるメソッドの「内観」について、個人的な感慨を述べてみたいと思います。

最近では、「心をきれいにする方法」というので、私がこれを習っていた頃より、うんと手軽にトライできる環境が整ってきているように思えます(その実態がどういうものか、寡聞にして知りません)。

私の場合、うつ病の苦しみ(というか、うつ病そのものの苦しみもさることながら、うつ病がもたらす苦しみの方が大きかったりもします)から解放されたくて、この方法を、かなり突き詰めて行った時期がありました。

結論から申しますが、この方法は、効果があります――ただし、しっかりした指導者に正しく教わり、真剣に行うのなら、という条件がついてしまいます。

そんなことを言うと、身もふたもないのかもしれませんが、ほかのあらゆるジャンルと同じで、真剣さと謙虚さ(はじめのうちは、双方とも「ある程度」で良いです。やっていくうちに、それが深まれば…)がないと、それなり以上の効能は得られません……

つまり、内観は奥が深いんです。

私は、これのほんの初心のあたりで、やめてしまいました。

その理由はというと、「浮気性」です。ほかの、、もっとお手軽で、もっと苦労のない、もっとタイパに優れた・・・早い話、この前、本に書いたようなメソッドの方に、宣伝につられて、移ってしまったのです。

その結果として、ある程度の成果が出たかもしれないけれど、その後、ふつうに生きていれば経験しなくても良いような、どうにもならない思いを味わう羽目に陥りました。

…少し前に知人に教えられて、「かつて神だった獣たちへ」というアニメーションを見て、つらい思いをしたことがありますが、このアニメのタイトルにふさわしい人たちと、立て続けに遭遇したのも、何の因果なのか……

話を内観に戻します。

内観を、そのときの自分のベスト、といえる熱心さでやっていくと、びっくりするほど、自分も変わるし、周囲も変わります。自分が世界の主人公だ、というのを、自覚できるようになるわけです。

また、感謝の気持ち、というものも、本来のそれを、思い出すことができます。

…思い返してみると、内観には、良い思い出ばかりあるんですねえ……

その後、タッピング関係に迷い込むきっかけとなった、とんでもない事態があったのですが、それについては、書く気にはなれません……

そんな経験を踏まえて、また、あくまでも、現在の内観がどのようなものなのか知らない人間からの発信だと思ってください。特に、これから内観をはじめようか、と思っている方は。

内観は、じっくりと取り組めば、取り組むほどに成果が出ますが、それに費やす時間や成果には、個人差があります。

でも、ある段階を越えてしまうと、能力や才能、個人差みたいな世界をぬけて、誰もが生まれ持ったところに入れます。

なので、他人との比較を止めた方が良いです。過ちのもとです。

私が、ほかに浮気したのも、他人を気にしたからですし、そのために、たいへんな回り道をすることになりました。

回り道をしてしまうと、時間と手間と、お金がかかる(爆)。時には、どこかに行ったまま、帰ってこられなくなってしまいます(家族がいたら、もう悲劇です。)。

よろしくね☆

昭和時代の洋画劇場

以前、ほかのところでブログをやっていたときにも、同じような主題で書いたことがあります。

最近では、こういうトピックは、かなりありふれたものになってきましたが、自身の体験を踏まえて、一席(今回、シリアスな話はありません。)。

昭和時代、少年期を送った私は、家庭環境その他、いろいろと問題を抱えておりまして、成り行きのように、昼間、学校に行かないでテレビを見たいたりすることが、ままありました。

で、一人でこもった部屋で、「昼の洋画劇場」的なものを見てしまうわけです。

なにしろ、そこにチャンネルを合わせておけば、CMの時間以外は、映画が終わるまで、一時間ちょっとの時間を「やり過ごす」ことができる。

そのうえ、まれに、息を飲むくらいに、引き込まれる傑作に出会ったりもする(まれ、でしたが)。

昼間、となると、当時だと、だいたい東京12チャンネル、テレビ東京でした。

なにしろ、こちらはガキですから、映画の世界の危険性などは、まったく認識していないわけです。単なるエンタメ、くらいにしか、考えていない。

大の大人が、「お仕事」で制作するものは、すべて、世のため人のためになるか、そうでなくとも、世のため人のためにしよう、と努力したものなのだ、と思い込んでいるわけですねえ…

じつに、恵まれた育ちをしていました。

ところが、そんな少年の気持ちを裏切る、どころか、身も心もボロボロにしてしまうような、「なんじゃ、こりゃあ!」(松田優作のセリフより)という代物が、平然と放映されていたのです。

まるで、「三分間クッキング」とか、「〇時のあなた」みたいに、自然な形で放映される「悪魔のいけにえ」。

「脱出」。

やべえだろ、おい。

…蛇足ながら、軽く、ハイライトシーンを述べてみますが、前者は、テキサスの片田舎で、人肉を加工している変態一家が、たまたまそこを通りがかった若者数名を、チェーンソーやハンマーなどで、虐殺するという、ギネス認定「世界でもっとも恐ろしい映画」です。

後者は、バカンスにカヌーで川下りしよう、と田舎に出た、仲良しのエリートビジネスマン数名が、その土地に住む、粗野なレッドネック白人たちに、レイプされたり(♂同士)して、殺し合うことになる、というお話。

ほかにも、女の奪い合いで、かねてから敵対し合っていた、とってもローカルなところで暮らす「お隣さん」同士が、略奪・暴行・強姦などの果て、ぶち殺し合ってしまう、という、ひょっとしたら「ロミオとジュリエット」とかを意識しているのかもしれない、「ロリ・マドンナ戦争」。

こういうものが、真昼間に今でいう地上波で放映されているんですねえ……(嘆息)

「悪魔のいけにえ」に出くわしたときは、知らない間に、汗みずくになって、壁に貼りついていました。昼日中、音量を下げていたにせよ、チェーンソーの爆音と女性の金切り声の二重奏にさらされた日には、トラウマ負わないほうが困りものです。

おっさんが、おっさんを後ろから「ピーと鳴け!」とか言いながら、犯すシーン(「脱出」)なども、全身の力が失せました。

…あの時代、ふつうに女性のバストが放映されていたし、ドラマなどでも、過激な濡れ場や裸、修羅場が当たり前でもありましたが、それにしても、度を越したものがありました。

で、良い子のこちら側としては、同じダメージを回避するために、さすがに学習し、「怪しい」と思しき作品は、「はじめから見ない」という手段を駆使するようになります。

作品内容をスマホで調べる、なんてことができない頃です。したがって、「勘」に頼ることになりますが、「危険物」はやはり、「タイトル」に表れてきたものでした。

「いけにえ」とか、「悪魔」、あるいは、子供にはあまり馴染みのない、カタカナ表記の横文字(「オーメン」、とか、「エクソシスト」みたいな、ね)が、やはり、危ない。

ポイントは、そのカタカナが、「まさに英語」的なものではなく、もうちょっと、子供の頭でも、エキゾチックな感じのものが、危なかったりしましたね(後に、そういう感じの横文字が、ヘビメタ系のミュージシャンたちに、こよなく愛好されていることを知りましたわ)。

…これで、防衛できたのか?

答えは、否、でした。

否、否。何度でもいう、否…!

……凶悪なテレビCM、というものが、あったのでした……!

地上波で、流すんですよ。

「人食い大統領アミン」(いいのか、このタイトル??)。

「食人族」(……)。

あるいは、「特番」で、「この夏のおすすめ映画特集!」とかいうから、ついつい見たら、面白そうな映画や、つまらなそうな映画、それらに交じって、若きフィービー・ケイツが、あられもない裸体をさらしたり、ナタキンが(ええわ、そのあたりは、切ないから)、の後とかに、「サンゲリア」(爆)。

ゾンビに引きずられる美女が、片目を失うシーンを…流すなよ、んなもん。

いやはや、キリがなくなってきたので、このあたりにします。

お元気で…! <m(__)m>

捨て活。

最近は、様々な方に支えられることもあって、一時期の混乱から立ち直り、安定して過ごせていて、感謝することばかりです。

この前の本にしても、一冊書くに当たって、目いっぱい、勉強できたことや、世の中の理不尽さを体験できたことなどは、感謝すべきことと思えます

……ただ、これだけは記しておきたいのですが、まさかこんな形になるとは予想もできないこととはいえ、あのような原稿にかまけるくらいだったら、母の人生最後の時間を、もっと一緒に過ごしてあげたかった…!!

義理に縛られたり、使嗾されたことに気づかなかった自分に腹が立ちます。

さて。

精神世界系統は、昔から興味があったジャンルではありましたので、かねてから、様々な本を読んでいました。いわゆるスピ本はじつは、あまり読んだこともなく、そういうものを速読で詰め込んだり、ということもしたことがありません。

…いずれ、速読については、私見を書いてみようと思っています。

…で、原稿にいろいろと詰め込もうとしたところ、そのほとんどが、無駄な部分ということでカットか、計画倒れになってしまいました。

…ただ、一応、自分みたいな無学で凡庸な人間でも、一冊本を書くにあたっては、「仕込み」の部分は、少なくとも、本の内容の十倍はなくてはいけない、とか思うのです。

アナクロなんだろうかなあ……。

再度、さて。

精神世界系の本、といっても、多種多様で、それらを文学のジャンルまで濫読していると、それなりに、和洋の様々なジャンルの歴史や文化背景、その副産物、時代の潮流とかにも詳しくなるもので、そういう「広がる」体験をしてしまうと、読書がやめられなくなります。

……誰と競争するつもりはありません。悪しからず。

しかしまあ、間抜けな話で、そういう感じで原稿とかに取り組むあまり、今はやりのスピがどんなことを言っているのか、とか、スピ的な流行は何か、とかに関心を払わないにも、程があったのですねえ…(嘆息)

本がらみの話から離れて数年、ほかの各所にも友人知人もできてくると、視野も広がって、それまで興味がなかったYouTubeとかも、見るようになり、知ったのが、

「うわ、量子力学って、超トレンドだったんじゃん」とか。

それで改めて調べてみると、「一冊で丸わかり量子力学」みたいな本もあれば、YouTubeではレクチャー動画もあり…で、

ストレスを一瞬で消す方法」とかも(泣)。…試してみると、かなりスグレていたりして(呆)。

で、「脳科学」をエビデンスの一環として挙げるのも、トレンドなのね…

…そろそろ、量子力学・脳科学は飽きられてきた感も(といって、どうするんだよ)。

そんな「目の前のこと」も知らないで、古臭い知識を詰め込んでいい気になっていた自分がアホらしいのですが、どうも自分に限らず、人間、だいたい、そういう過ちを犯すらしいですわ。

たぶん、「脳みそ」関係だと、スコトーマ、とかいう…ちがうか。

でも、マニピュレーターから見ると、そういうことよりも、「そいつがお人よしかどうか」がカギなんだろうけどね。

わかんないことだらけ。。

韓国マッサージ!

お久しぶりです<m(__)m>

先日、韓国マッサージに行ってきました。。

お店の許可をいただいたわけではないので、具体的な店名や場所を書くわけにはいかないのですが(今度行ったとき、きいてみます。)、とても効きました!

リラクゼーションや調整系のサロン、お店は増える一方のようで、そのため、施術師の技術力も、日進月歩という感じですね…

私も月に一度くらい、そういうところに行っておりまして、「行きつけ」のお店もありますが、「行きつけ」のところで、それなりにスタッフや施術となじんでしまうと、たまには、「浮気」をしたくなるもので…結婚生活でそういう行動を取るのは完全に反則なので、ほかのジャンルで代替してみました(って、そもそも独身なんだが…)

韓国マッサージの具体的なイメージが湧かなくて、しかも、お店の提示するメニューが多岐にわたったし、どうもスタッフの方が、さほど日本語に通じていないようなのもあったので、悩んだ末に、予算と時間を目安に、90分くらい、やっていただきました。

うつ伏せの背中を中心に、もみほぐすところからはじまりました。

それ以前に、店内がとても綺麗で。

無駄なものは置いていないけれど、殺風景でなく。雰囲気も、ほっこりしていて、落ち着く…。

もみほぐしがはじまりました。

これが、かなり力強い。小柄な女性が、信じられないような力というか、圧というか、独特で、上手く表現できません。

とにかく、体の芯に浸透してくるような、独特の力で、それがとても心地よかったです。。

施術中、何度か寝落ちしてしまった。それも、熟睡。

90分経過って、短く感じられました…。

ここ数年で経験したなかで、心身ともに深いリラックスを体験でき、その「良い感じ」がかなり持続して、揺り戻しみたいなものもないのは、鍼と、この韓国マッサージが、一位を争うように思えます。

…もっとも、こうした施術には、人それぞれ、相性がありますし、また、お店や施術師にも様々なランクがあるのも確かなので、……

以上は、あくまでも、私の個人的な体験・感想ですねん。

それでは、また。

「インスタント」はいけません(1)

本日も、よろしくお願いします<m(__)m>

この前の本の原稿執筆を通して、次から次へと試練が訪れました。

今になって、なぜ、あれほどにキツいことが起こったのか、その理由が見えてきましたが、それについては、今、ここでは記しません…

そうした経験から、いくつかのアドバンテージを見出さなくてはなりません

たとえば、苦難を「学び」ととらえなおすことができれば、本当の意味で「先」に進むこともできるわけです。

……以前の私ですと、手痛い体験・苦難が訪れたら、そこで「メソッド」などを用いて、マイナスの感情を抜き取り、さらに潜在意識を浄化して……ということをしていました。

ところが、今回怒涛のように押し寄せてきた、様々な難題は、そのようなことでは、さばききれませんでした…

私に訪れた苦痛のなかで、いちばんキツかったのは、母の死です…

心身ともに疲弊しきっていたときに、急激に体調を悪くした母が、あっという間に逝ってしまった。

…幸い、臨終に立ち会うことはでき、無事、葬儀も終えることもできましたが、こうした人生では一度しかない、深刻かつ重大な出来事もマーケティングに「利用」されたのは、心痛の極みです。

この件については、またいずれ触れることとします。沈黙する気はありません。

執筆作業そのものが、触れたくない過去の「掘り返し」となったため、自分にとっては、おそろしく負荷の大きい作業でした。

実際、帯状疱疹を発症したりで、入院することが二度ありました。

しかし、仕事もありますし、執筆だけでなく、やらなくてはならないことが、たくさんあったから、入院といっても、一夜のみ。

睡眠時間もまともに取ることができない毎日でした。そんなときに、母が亡くなったのでした…

前回の本に書いた、様々なメソッドとかも、執筆をはじめた当時は駆使していました。

ところが、どんどん状況とか、悪くなっていく。そうしたことを、当時、先生だった方に何度報告しても、何も響かない。

最終的には、「この人、何考えているんだ?」というような内容のやり取りに終始するようになったため、以前から離れていた気持ちが、ついに切れてしまいました…

…本が出た後はもう、「なんでこんなことになるの?」と、笑ってしまうくらいひどい話のオンパレード。

たぶん、あの時点で自らの手で命を終わらせてしまう人とか、いるかもしれません(同じ体験を強いられたとしたら、という、たとえなのですが、不適切だったら、申し訳ありません)。

そうした時も、自分で入り込んだ「流れ」が継続してしまい、心身の苦しみを少しでも軽減したい…と思って、またぞろスピリチュアル世界の人たちと接触していました(爆)

今だったら、絶対に、あり得ないチョイスなのですが。

当時は破れかぶれというか、どうにでもなってしまえ!という気持ちが強くあり、おそらく、「死にたい」と思っていました。

そうなると、事態が好転するわけもありません。

泥沼とはこのことです。

まあ、結果として、傷を深めるばかりだったという、笑うに笑えない事態を招きました。

もし、当時の私のような状態の友人がいたら、今の私なら、まずはちゃんとした病院で体を検査してもらうことと、しかるべき信頼できる筋のカウンセラーなりを予約して、裏付けのある心理療法を受けること、一定の期間、旅行に出てみること、ジムとかと契約して運動すること、食事内容を見直すこと、さらには、睡眠を見直すこと…

などを提案します(危ない状態じゃん、あらためて書いてみると!

わざわざ、得体の知れない潜在意識の大海に潜り込むような危険な真似はしないことです。

もし、それをするのならば、専門的な知識と権威をもち、経験のあるプロフェッショナルと長い時間をかけて、慎重に取り組まないといけません。

ところが、当時はそんな常識的なことすら、できませんでした。…そのあたりの消息については、うんざりするので、今は記す気にすらなれません…

思うに、あの本は、出すべきではなかったのではないか。

ちょっとした功名心に駆られ、後には引けない、と勝手に思い込んで(あるいは思い込まされて)、無理を押した結果がこれです。

…次回に続きます。書き直し書き直しで、くたびれました(笑)<m(__)m>