バウハウスが来日したとき その2

ライブが行われた場所は、たしか渋谷公会堂でした。渋谷という街も、今ほど垢ぬけていなくて、いろんなところに、中古レコード屋や楽器屋が点在しており、そういうところに、学校帰り、行き場がよくわからない私みたいな人が徘徊していたり…。

たしか、学校からそのまま、ライブ会場に行ったような記憶があるんですね。学生服着て行ったように思えます。

会場に着いて、いちばん驚いたのが、客層でした。

当たり前にバウハウスのファンが来るわけでしょうけれど、お客さん、ずらっと黒ずくめなんです。ほとんどが女性でしたが、今でいう、ゴシックパンク、という装いでしょう。

しかし、あの当時、髪を逆立てたり、モヒカンにしたり、あるいは、歌舞伎の隈取さながらのアイラインを、ブラックで太く入れたり、などというのは、相当に勇気と覚悟がなくてはできない時分でしたが、そういう人が、かなりの数、いたのですね。

で、彼らはとにかく、喋りません。だから、不穏な雰囲気が高まる一方…

私は二階席で、周囲はみんな、一人で訪れている、ゴシックの女性陣。私をふくめて、ずらっと、鬱的ムードを放っているのだから、演奏者たちは、因果応報とはいえ、キツイものがあったでしょうなあ…!

ステージ中央に、マーシャルのキャビネットが三台積みされていて、ギタリストが出て来るや、暗鬱なコードをかき鳴らします。

たしか、会場、ちょっとざわついたくらいで、基本、静かなんですね。

ただ、まだ感性が鈍く、そのうえ病気で鈍麻していた私にも、会場全体に熱気が充満して、汗ばんでいくのがわかりました。こうした緊張感のある盛り上がり方は、格闘技の会場に似ていて、あまり音楽のライブでは体験できないものだったように記憶しています。

会場が静かな興奮に包まれ、お客の声も聞こえるようになったのは、やはり、ヴォーカリストでバンドの「顔」であるピーター・マーフィーが登場してからでした。

がりがりに痩せた体躯の、彫りの深い美男子で、それが低い声で地響きのするような歌唱をするという、やはりモテ要素はミスマッチから、という見本といえる人物…

Guitarist on stage for background, soft and blur concept

バウハウスって、基本、slowでheavyで、気だるい楽曲が主体なのですが、轟音でそれらを連発して、会場に「うねり」みたいな空気が出てきたあたりで、まだレコードでは出ていなかった「テレグラム・サム」などの、アップテンポの激しい、しかも痙攣的なナンバーが入ってくるから、会場は異様な盛り上がりを見せました。

観客は総立ち。私の周囲のゴシックガールたちは、体を少し弾ませながら、微妙に回旋させるという、不思議なムーブで踊っていた…というか、操られていたとしか……

ライブが最高潮に達したのは、細身のピーター・マーフィーが、そのまま「骸骨」、スケルトンに扮したときです。

緑の蛍光塗料で骸骨が描かれている、真っ黒なタイツで全身を包む、という、真似をしたら、ほとんどの男が即・変質者の烙印を捺されてしまういで立ち。

曲は「ベラ・ルゴシの死」だったかなあ…それを歌いながら、客席に踊り込んだ彼は、踊り狂いながら、お客の間を歩き回り…

そんなこんなで、忘れられない光景とサウンドに満ちたライブでした。

あのときのゴシックの人たち、どうしているのだろう…

バウハウス(ロックバンドの。)が来日したとき。その1。

今回も、よろしくお願いします。

昭和末期の頃の話となりますが、イギリスにバウハウスというバンドがありました。ご存じの方も多いかと思われますが、近年、再結成されました…個人的には、そういうことはして欲しくなかったですね。

バンドのフロントマンのピーター・マーフィーは、若い時分には、「ぼくは長く生きない。若いうちにエイズで死ぬんだ!」とのたまわっており、この発言は、かのアクセル・ローズの、「若いうちに自殺する。そのときは、ウージーのサブマシンガンを使う!」という発言と並ぶインパクトがあったものでした。

ロックの人に言行一致を求めても仕方ないのですが、それにしても、約束は守られないものです。

Human resources department managers sitting and interviewing female businesswoman applicant or candidate during job interview in modern office. Business recruitment concept

さて、そのバウハウス(再結成前)ですが、暗闇の天使というアルバムが有名です。そして、そのジャケットに男性のイチモツが映っているために、いかに芸術的表現でも本邦では、特に昭和の時代では、許されません。ボカシが入りました(モザイクではなかった。…かえって、猥褻だからなあ。現在は、しっかり映っているようです)。

そんなことでも、かすかながら、話題になりました。

ほか、このバンドが局地的に盛り上がったトピックというと、「非常に暗い」というのと、「重くてやりきれない」という、当時としては特異なサウンドと歌詞の傾向でした。

…今、改めて聴いてみると、そういう部分も、さほどではないし、どちらかというと、大げさでわざとらしく、稚拙な感は否めませんが、当時、まだ思春期だった私には、衝撃的でした。

私の場合、思春期で、そのうえに問題だらけの家庭に育ち、学校では「のけ者」にされ、家にも外にも居場所がなく、しっかりと鬱病を患い、ストレスで内臓まで壊れて、常にエネルギー状態推定5%くらいで、かろうじて、なぜだか生存している、という存在だったため、バウハウスのサウンドのインパクトは大きく、一時期は、ほとんど毎日、聴いておりました。

                 ☆

同じ時期に、やはりイギリスに、これも伝説的なジョイ・ディヴィジョンという、同じような傾向を持つバンドがありました。

こちらの方は、ヴォーカルのイアン・カーティスが正真正銘の破瓜型統合失調症で、たびたびステージ上で、てんかんのような発作を起こすうえ、しっかりと自殺して、バンドをそれで解散させてしまったという、言葉数は少ないが、しっかりと、やることはやる、という、ロックでは珍しい、テロリスト適性の高いフロントマンを持っていたためか、危険性や劇物性はバウハウスよりも、かなり高度だったように思えます。

ただ、バウハウスの方が、ジョイ・ディヴィジョンと比べると、サウンドがポップで、ヴィジュアルが圧倒的に良かった…

じつは、当時は、そんなことまで気が回らなかったし、LPレコード(当時ですから)を、立て続けに買うのは、学生にはキツかったので、はじめに手に入れたバウハウスの方を、聴き込んだわけでした。

                 

 

…今思うと、ジョイ・ディヴィジョンでなくて、良かったように思えます。危ないから。

知る由もありませんでしたが、当時、イギリスでは、こういうダーク系のロックバンドが、ちょっとだけ流行ったらしく、ほかにもミッションという、流行のあだ花となったバンドがあり、マガジンというバンドも、こっち系統といえるかもしれません(双方とも、かなり良質なアルバムを発表しています。特にマガジンが出した二枚のアルバムは良いようです)。

なにしろ、その頃というと、情報源が非常に限定的なのです。ネットも衛星放送もありません。アメリカとソ連が冷たく戦っています。

イギリスのマイナーなロックバンドのトピックなど、あまり気が進まない雑誌で手に入れるくらいしか手がないのです。または、レコード屋を回って、何か出ていないか、探る。

あとは、新聞、雑誌などの広告です…来日するミュージシャンの公演予定が掲載されますから。

そういう手段で、たしかな情報を得るには、砂金採取みたいな気分を味わうことになりますが、何かを得たときの喜びと興奮はかなりのものです。しかも、そうした高揚感は、あまり役に立たなかったりしますね…。

いつも通り、鬱々と鬱陶しいある日、何で見つけたのか、それが記憶にないのですが、掲載されておりました。

バウハウス来日。

まじかよ。

<次回に続きます。>

ドラッグの歌群。

お久しぶりです<m(__)m>

今回から、画像が添付できるようになりました。簡単なことでしたが、苦心しました。

今回、お付き合いいただいた方々には、洋楽のドラッグ関連の歌、というか、曲の話題を…。

私は、若年期に「うつ」を患ったため、必然的に引きこもったりすることになり、友人知人などを失ってしまいましたので、体を動かす元気など皆無だったから、ギターなどにはまっておりました(現在は、完全に復活しております。)

今思うと、それで左右の指を個別に動かす訓練をしたのが、いろんな意味で良かったのではないかな、などとも思えるのですが、そんな話は、またいずれ。

で、はじめのうちはクラシック音楽を聴いていたものの、当たり前のように、軽音楽に傾倒するようになり、なかでも、洋楽ロックに突っ込んでいく流れになったのでした。

なにしろ、昭和の当時は、今のように、かなり正確な歌詞が、すぐに検索で見つかったり、かなり適切な翻訳がすぐに手に入る時代ではありません。

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」(架空の人物名です。ボウイ自身がステージで、このキャラに扮しました)が「屈曲する星くず」という邦題で発売されたり、エアロスミスの「ウオーク・ジス・ウェイ」(だったかな?)が「お説教」という邦題だったり、ザ・フーのアルバムに「俺は百姓」という曲があったりで、なかなか、いい加減な仕事がまかり通っていたように思えます。

こちらもまだガキといえばガキでしたから、まともな英語など、じつのところ、あまり理解できていませんので、洋楽が好きでも、曲を覚えるのが大変でした(別に歌詞覚えなくてもいいかもしれないんですが、意味不明でも、覚えたくなるもんですねえ・・・!)。

…いったい、なんの話をしたかったのか、よくわからんようになりました(呆然)。

なので、タイトルに回帰します。

70年代の洋楽ロックの世界に、たぶん一ジャンルといえると思うのですが、ドラッグソング群がありました。

今となると、そういうのは歌ってもいけないし、そのような曲はなかったこと、とかになっているらしき雰囲気なので、忘れ去られていくのかも、しれません。

…昔、保守的なエド・サリヴァン・ショーだかに出演したドアーズのジム・モリソンが、大ヒット中の「ハートに火をつけて」を歌う、事前に局側から、歌詞のなかにある「higher」の部分を、ほかの言葉に差し替えろ、と言われたのに、そうしなかったから、出禁だかになった、という逸話がありますが(ハイ、は、ドラッグで気分が「飛ぶ」、いい気持になった、みたいな意味合いのようです)、今は、世界的に、エド・サリヴァン・ショーみたいになったらしく…

本当に、70年代の曲の歌詞のなかに出てくる薬系の「high」の部分が、リメイクのときに、別の「人にやさしい」言葉に差し替えられていたりしています。

エリック・クラプトンの「コカインとか、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ヘロイン」などという曲は、どう扱われているのだろう…前者などでのクラプトンのギターは、素晴らしいのですが、アルバムから削除されたりして…。

たしか、少し前でしたら、イギー・ポップが明らかに、何かとんでもないものを摂取したらしき、獣のような目で、客を煽りまくるライブ映像や、ほとんどゾンビ状態でステージに佇立しているジョニー・サンダースの姿などが、YouTubeで視聴できましたが、今は、そういう映像もなくなっているようです。

ニール・ヤングが、有名なコンサートで、両方の鼻の穴にコカインの塊を突っ込んだまま、ハイテンションでギターを弾くという、物凄いシーンもあったのですが、噂では、その映像はCG加工されて、コカインだけが消去されたそうです。

さすがに、ニール・ヤングを映像から消去する措置は取らなかったみたいですね。

次は、ステロイドですね…!