昭和時代の洋画劇場

以前、ほかのところでブログをやっていたときにも、同じような主題で書いたことがあります。

最近では、こういうトピックは、かなりありふれたものになってきましたが、自身の体験を踏まえて、一席(今回、シリアスな話はありません。)。

昭和時代、少年期を送った私は、家庭環境その他、いろいろと問題を抱えておりまして、成り行きのように、昼間、学校に行かないでテレビを見たいたりすることが、ままありました。

で、一人でこもった部屋で、「昼の洋画劇場」的なものを見てしまうわけです。

なにしろ、そこにチャンネルを合わせておけば、CMの時間以外は、映画が終わるまで、一時間ちょっとの時間を「やり過ごす」ことができる。

そのうえ、まれに、息を飲むくらいに、引き込まれる傑作に出会ったりもする(まれ、でしたが)。

昼間、となると、当時だと、だいたい東京12チャンネル、テレビ東京でした。

なにしろ、こちらはガキですから、映画の世界の危険性などは、まったく認識していないわけです。単なるエンタメ、くらいにしか、考えていない。

大の大人が、「お仕事」で制作するものは、すべて、世のため人のためになるか、そうでなくとも、世のため人のためにしよう、と努力したものなのだ、と思い込んでいるわけですねえ…

じつに、恵まれた育ちをしていました。

ところが、そんな少年の気持ちを裏切る、どころか、身も心もボロボロにしてしまうような、「なんじゃ、こりゃあ!」(松田優作のセリフより)という代物が、平然と放映されていたのです。

まるで、「三分間クッキング」とか、「〇時のあなた」みたいに、自然な形で放映される「悪魔のいけにえ」。

「脱出」。

やべえだろ、おい。

…蛇足ながら、軽く、ハイライトシーンを述べてみますが、前者は、テキサスの片田舎で、人肉を加工している変態一家が、たまたまそこを通りがかった若者数名を、チェーンソーやハンマーなどで、虐殺するという、ギネス認定「世界でもっとも恐ろしい映画」です。

後者は、バカンスにカヌーで川下りしよう、と田舎に出た、仲良しのエリートビジネスマン数名が、その土地に住む、粗野なレッドネック白人たちに、レイプされたり(♂同士)して、殺し合うことになる、というお話。

ほかにも、女の奪い合いで、かねてから敵対し合っていた、とってもローカルなところで暮らす「お隣さん」同士が、略奪・暴行・強姦などの果て、ぶち殺し合ってしまう、という、ひょっとしたら「ロミオとジュリエット」とかを意識しているのかもしれない、「ロリ・マドンナ戦争」。

こういうものが、真昼間に今でいう地上波で放映されているんですねえ……(嘆息)

「悪魔のいけにえ」に出くわしたときは、知らない間に、汗みずくになって、壁に貼りついていました。昼日中、音量を下げていたにせよ、チェーンソーの爆音と女性の金切り声の二重奏にさらされた日には、トラウマ負わないほうが困りものです。

おっさんが、おっさんを後ろから「ピーと鳴け!」とか言いながら、犯すシーン(「脱出」)なども、全身の力が失せました。

…あの時代、ふつうに女性のバストが放映されていたし、ドラマなどでも、過激な濡れ場や裸、修羅場が当たり前でもありましたが、それにしても、度を越したものがありました。

で、良い子のこちら側としては、同じダメージを回避するために、さすがに学習し、「怪しい」と思しき作品は、「はじめから見ない」という手段を駆使するようになります。

作品内容をスマホで調べる、なんてことができない頃です。したがって、「勘」に頼ることになりますが、「危険物」はやはり、「タイトル」に表れてきたものでした。

「いけにえ」とか、「悪魔」、あるいは、子供にはあまり馴染みのない、カタカナ表記の横文字(「オーメン」、とか、「エクソシスト」みたいな、ね)が、やはり、危ない。

ポイントは、そのカタカナが、「まさに英語」的なものではなく、もうちょっと、子供の頭でも、エキゾチックな感じのものが、危なかったりしましたね(後に、そういう感じの横文字が、ヘビメタ系のミュージシャンたちに、こよなく愛好されていることを知りましたわ)。

…これで、防衛できたのか?

答えは、否、でした。

否、否。何度でもいう、否…!

……凶悪なテレビCM、というものが、あったのでした……!

地上波で、流すんですよ。

「人食い大統領アミン」(いいのか、このタイトル??)。

「食人族」(……)。

あるいは、「特番」で、「この夏のおすすめ映画特集!」とかいうから、ついつい見たら、面白そうな映画や、つまらなそうな映画、それらに交じって、若きフィービー・ケイツが、あられもない裸体をさらしたり、ナタキンが(ええわ、そのあたりは、切ないから)、の後とかに、「サンゲリア」(爆)。

ゾンビに引きずられる美女が、片目を失うシーンを…流すなよ、んなもん。

いやはや、キリがなくなってきたので、このあたりにします。

お元気で…! <m(__)m>

捨て活。

最近は、様々な方に支えられることもあって、一時期の混乱から立ち直り、安定して過ごせていて、感謝することばかりです。

この前の本にしても、一冊書くに当たって、目いっぱい、勉強できたことや、世の中の理不尽さを体験できたことなどは、感謝すべきことと思えます

……ただ、これだけは記しておきたいのですが、まさかこんな形になるとは予想もできないこととはいえ、あのような原稿にかまけるくらいだったら、母の人生最後の時間を、もっと一緒に過ごしてあげたかった…!!

義理に縛られたり、使嗾されたことに気づかなかった自分に腹が立ちます。

さて。

精神世界系統は、昔から興味があったジャンルではありましたので、かねてから、様々な本を読んでいました。いわゆるスピ本はじつは、あまり読んだこともなく、そういうものを速読で詰め込んだり、ということもしたことがありません。

…で、原稿にいろいろと詰め込もうとしたところ、そのほとんどが、無駄な部分ということでカットか、計画倒れになってしまいました。

…ただ、一応、自分みたいな無学で凡庸な人間でも、一冊本を書くにあたっては、「仕込み」の部分は、少なくとも、本の内容の十倍はなくてはいけない、とか思うのです。

アナクロなんだろうかなあ……。

再度、さて。

精神世界系の本、といっても、多種多様で、それらを文学のジャンルまで濫読していると、それなりに、和洋の様々なジャンルの歴史や文化背景、その副産物、時代の潮流とかにも詳しくなるもので、そういう「広がる」体験をしてしまうと、読書がやめられなくなります。

……誰と競争するつもりはありません。悪しからず。

しかしまあ、間抜けな話で、そういう感じで原稿とかに取り組むあまり、今はやりのスピがどんなことを言っているのか、とか、スピ的な流行は何か、とかに関心を払わないにも、程があったのですねえ…(嘆息)

本がらみの話から離れて数年、ほかの各所にも友人知人もできてくると、視野も広がって、それまで興味がなかったYouTubeとかも、見るようになり、知ったのが、

「うわ、量子力学って、トレンドだったんじゃん」とか。

それで改めて調べてみると、「一冊で丸わかり量子力学」みたいな本もあれば、YouTubeではレクチャー動画もあり…で、

「ストレスを一瞬で消す方法」とかも(泣)。…試してみると、かなりスグレていたりして(呆)。

で、「脳科学」をエビデンスの一環として挙げるのも、トレンドなのね…

…そろそろ、量子力学・脳科学は飽きられてきた感も(といって、どうするんだよ)。

そんな「目の前のこと」も知らないで、古臭い知識を詰め込んでいい気になっていた自分がアホらしいのですが、どうも自分に限らず、人間、だいたい、そういう過ちを犯すらしいですわ。

たぶん、「脳みそ」関係だと、スコトーマ、とかいう…ちがうか。

わかんないことだらけ。。

韓国マッサージ!

お久しぶりです<m(__)m>

先日、韓国マッサージに行ってきました。。

お店の許可をいただいたわけではないので、具体的な店名や場所を書くわけにはいかないのですが(今度行ったとき、きいてみます。)、とても効きました!

リラクゼーションや調整系のサロン、お店は増える一方のようで、そのため、施術師の技術力も、日進月歩という感じですね…

私も月に一度くらい、そういうところに行っておりまして、「行きつけ」のお店もありますが、「行きつけ」のところで、それなりにスタッフや施術となじんでしまうと、たまには、「浮気」をしたくなるもので…結婚生活でそういう行動を取るのは完全に反則なので、ほかのジャンルで代替してみました(って、そもそも独身なんだが…)

韓国マッサージの具体的なイメージが湧かなくて、しかも、お店の提示するメニューが多岐にわたったし、どうもスタッフの方が、さほど日本語に通じていないようなのもあったので、悩んだ末に、予算と時間を目安に、90分くらい、やっていただきました。

うつ伏せの背中を中心に、もみほぐすところからはじまりました。

それ以前に、店内がとても綺麗で。

無駄なものは置いていないけれど、殺風景でなく。雰囲気も、ほっこりしていて、落ち着く…。

もみほぐしがはじまりました。

これが、かなり力強い。小柄な女性が、信じられないような力というか、圧というか、独特で、上手く表現できません。

とにかく、体の芯に浸透してくるような、独特の力で、それがとても心地よかったです。。

施術中、何度か寝落ちしてしまった。それも、熟睡。

90分経過って、短く感じられました…。

ここ数年で経験したなかで、心身ともに深いリラックスを体験でき、その「良い感じ」がかなり持続して、揺り戻しみたいなものもないのは、鍼と、この韓国マッサージが、一位を争うように思えます。

…もっとも、こうした施術には、人それぞれ、相性がありますし、また、お店や施術師にも様々なランクがあるのも確かなので、……

以上は、あくまでも、私の個人的な体験・感想ですねん。

それでは、また。

煙草をやめた話

一日おきに、ブログを更新していこう、と思っていた矢先、ひどい風邪にかかってしまい、五日くらい更新できませんでした。

最近では、珍しいです。少し前まで、私はしょっちゅう風邪を引いていましたが、キックボクシングと、あと、時折、鍼灸・整体を受けるようになってから、免疫がとても強くなったようで、風邪っぽくなっても、すぐに治っていたのですが…ちょっと図に乗ったのでしょう、体調管理が甘かった。

さて、永年の悪い習慣だった煙草をやめた、という話です。…喫煙は、「習慣というより(ニコチン)中毒だ」と言われますが、もっと複合的な性格のものでしょうね。

ニコチン中毒だけなら、たしか数日我慢すれば、すっかり「抜けて」しまうので、そこで禁煙完成となるはずですが、なかなか、そうは行きませんから…

私も過去、何度か「禁煙」を試み、挫折を繰り返したクチです。

…で、今回を書くにあたり、「いったい、どうしてスパッと禁煙できたのか」をいろいろと分析してみたのですが、どうにも、よくわからないのですね。

気色わるいスピった話はしたくないので、自分が辿った禁煙の過程を、書いてみます。私と体質とか気質とか、似たような方には、ひょっとしたら、ヒントくらいになるかもしれません。

キックボクシングのエクササイズ(だけでなく、まず、パンチ、キック、ディフェンスなどを正確にこなせる体づくり)に、様々な間拍子で、はまってしまったので、「体の動くうちに、できるだけ、これをマスターしていきたい」という思いが、心の底から湧いてきたのが、ひとつ。

それと別に、メタボ化して、メンタル面も荒廃していましたから、当時は「もういつ〇(タヒ)んでもいいや」などと常日頃から思っていたところが、「これ、面白いから、ラスト一回くらい、全力出そうか」という気持ちになり、「それじゃまず、この体をなんとかしなくちゃ」という。ラスト一回、というのは、年齢的なリミットですね。

…で、最初のレッスンで、もう、息が上がって、脚も高く上がらない、という現実がありました。今になってみると、通常のレッスンの、1/10くらいの強度・難度のレッスンでしたし、あまりにこちらの状態(?何もかも)が酷いので、ごくごく基本的な動きのみ、インストラクターは一切の攻撃をしない、という、超・初心者モードだったのですが。

その後、他の敏腕インストラクターから(というか、インストラクター、全員が敏腕なんですけど)、姿勢の矯正、体幹の強化、という、避けては通れないけれども、厳しいから避けたい難題を突き付けられることになるのですが、この話は、今回はパスします<m(__)m>

別に、喫煙についてインストラクターに指摘されたわけでもなく、「ヤニくさい」などと言われたわけでもありませんが、自分の当時の運動不足を棚に上げても、この息の上がり方の悪因として、ヘビーな喫煙を想像できなかったら、かなりヤバかったと思われます。

俗に「息が上がる」と言いますが、何がキツイかというと、肺が爆発しそうになることで、そこにスルドイ痛みが伴うから、喀血するんじゃねえか、デブのくせに、などと怯んだものでした(バカか。)。

肺がこの調子なら、痛みはないものの、バクバク言ってる心臓はどうなんだよ、おい、という話です。じっさい、心臓が鋭く痛んでいたら、タバコよりもっと深刻な問題だったのですが、なぜか、そこには気づかなかった。

…じゃあ、タバコやめよう。

決断は、早かったです。ただまあ、どこまで続くのか…という話ですね。

思い返してみると、ここで、いまだに印象に残っている思いがあって、

「今度また、禁煙挫折したら、もう二度と、禁煙しよう、とも思わなくなるだろうな(そういう年齢だ)」とか。

それまで、「まあ、なんとかなる」とか、「後がある」的な考え方が何事にもあったのが私で、それで万事、「詰めが甘い」ことで、しくじってきたように思えたのは、確かです。

なんでそんな、「覚悟を決める」みたいな考えに、すっと入って、定着できたのか、ちょっとわかりにくいのですが、ひょっとしたら、入会したジムの指導者たちが、そういう心構えが

できている人が多いんじゃないかな、とか思えます。

つまり、心構え的なものは、「上から下」に伝染しますから…

で、禁煙に関する記事をネットで…漁りませんでした。それ関連の本を買うこともなく、グッズや食品も買いませんでした。

ひとつ、思い起こされたのは、昔、知人の女性に聞いた話でした。

その方は、とある劇団に所属していたのですが、舞台のときに、季節や照明の関係で、そこが酷く暑いときがある。

で、暑さのあまり汗をかきすぎてしまうと、化粧が落ちてしまうし、だいいち、見苦しいから、汗はかきたくない、というのです。

いやでも、生理現象だから、それは無理筋でしょう、ときくと、その方は平然と、

「だから、頭や顔から汗をかかなければいいんです。たとえかいても、ごく少量にする。その代わり、背中でたくさん、汗をかくんです。そこだったら、目立たないから」。

彼女だけでなく、この技(?)を使う人は、同じ劇団に多いというのですね。

「そんなふうになれるのですか? なれたとしても、時間かかりますよね?」

「かかりませんよ。もう、頭や顔から汗かかない、背中で汗かく、って決めたら、不思議だけど、そのときから、背中だけで汗かけるようになりました」。

あらかじめ申し上げますが、私は訳の分からないような、アナクロな精神主義や、根性論みたいなものは、かなり嫌いなほうです。あと、しつこいようですが、最近はもう、お手軽だったりフワフワだったりするスピは、大嫌いです。

ですが、今になっても、この女性の話は、時折、思い出されます。そんな馬鹿な、みたいな話ですが、その方はじっさい、本当にそうしていたし、またそういうことを抜きにしても、どういうジャンルなのか、ちょっと掴みづらいけれど、なんとも、深い話と思えます。

…で、まあ、自分もそんな気持ちで、禁煙して、そのまま、数年(三年以上になります)経過している、という。

トレーニングを重ねるうちに…タバコをやめる!

キックボクシングを再開した頃は、心身ともにズタズタになっていて、もう二度と、スピリチュアルだの、原稿仕事だの、やりたくない、やらない! という気分でした。

ああした世界にいる、タチの悪い人(ふつうに数多いようですね。)となると、人をそんな気持ちになるまで、手練手管で追い込んでも、彼らなりの言い逃れがあるのですね。

「業の清算」とか、「すべては自己責任(その人の現実はその人が作ったもの=そこにいた「私」は悪くない)」とか、「前世の所業が悪かったから」とか、「試されている」とか、この頃は心理学や、量子力学などのタームが、じつにお手軽に使われるようになっていますから、そっちの方を真面目にやっている人は、うんざりしているのではなかろうか…

…話が逸れました。

あまりにがっかりしたので、まずは仕事に没頭するよう、心がけたものの、疲れたときや、集中が乱れたときとかに出てくる「雑念」がもう…後から後から、怒りや憎しみ、悲しみなどが湧き出してきて、そこに、当事者たちの顔が浮かんできます。

悪いことに、それが日に日に深まっていき、いろいろなトラウマなどと連結します。

…仮にここで、やめてしまった、タッピングその他の「メソッド」を駆使したとしても、かえって事態を悪化させたことでしょう。

本当に対峙しなくてはならないような、自分の奥底に秘められた、ある種の「テーマ」と向き合うには、ああした方法では無理なのです。

そのような「問題」に当たるには、どうやら、何から何まで、自前で、この世から見つけ出さなくてはならなくて、試行錯誤を繰り返しながら、全身全霊でやって行くしかないようです…

そこで、方法や、師匠などに、いわば「逃避」してしまうと、下手すると、一生の残りの時間すべてが、台無しになってしまう。

…そんななか、休会していたキックボクシングのジムに、「ストレス発散」とばかりに、通いはじめたのですが、そのジムが、「超・本物」だったのです。

…そういう所にありがち、なのだと思えますが、別に、「うちは凄い!」とか謡っているわけではありません。

また、通いはじめても、こちらのニーズに合う何かを、さりげなく、しかも一切、高圧的なところなく、丁寧に教えてくれ、その相手をしてくれるだけで…別段、何か変わったところなどはないのですが…

どれほどキツイ練習になっても、充実感とかが分厚く、帰り道その他、ジムでインストラクターに言われた、何気なく思えた一言が、じわじわと(いい意味で、ですよ)浸透してきます。

…などと書くと、なんだか私が、ずいぶんハイレベルなようですが、単に年齢を重ねたくらいのものです((笑)

なにしろ、キック再開、といっても、最初の頃は、脚が上がりませんでした。

錆びついているうえに、アブラが回りすぎていて…笑い話ではなく、腹回りに余分な肉が付きすぎていたから、それが邪魔します。

体全体がバキバキに硬くなっていて(つまり、老化が進んでいて)、心肺機能も劣化し、姿勢は猫背で、しかも反り腰気味、呼吸はいつも浅い

筋肉量が著しく低下していたばかりか、日ごろの心掛けがものを言う「体幹」などは、ヘロヘロの状態でした。

復帰後、最初のレッスンで、汗みずくになり、息も絶え絶え、目にカスミがかかったようになって、半死半生の帰路、

「煙草を止める!」

まずは、そこからはじめることにしました。

一日、ひと箱では済まない、かなりのヘビースモーカーでした。

やめよう、やめよう、と何度思っても、当たり前のように挫折を繰り返し、それこそ、潜在意識に「失敗」の痛手を植え付け続けてきたのです。

だから、そのときも、「この決意がいつまで続くのだろう…」という不安もありました。

ところが、です。

その夜から、本当に、スッパリと禁煙してしまい、そのまま、数年が経過しています。

次回は、なぜ、禁煙が成功したのか?

について、私のアホ頭で展開してみます。

最後まで読んでくださったことに、深く感謝します<m(__)m>

~おじさん、トレーニングの日々。

ここで、少し傍流の話にします。

こんな話も、今までの話と、後に連結する予定で、つまり、無関係ではありません。

……まずはじめに、タイトルとからめて、ここ二年間の私の体のデータの一部を、(少しだけ)公開します。

・体重~10キロ減

・体脂肪~30%だったのが、現在、14パーセント

・筋肉量~数キロ増。当初、「年齢層ではかなり低い」レベルから、「標準よりも高い」レベル。

・体の柔軟性の大幅なアップ。

・体中にあった痛み・不快感・凝りが、ほぼなくなっています。

……これらは、約二年間、トレーニングを、プロに教わりつつ、自分のペースで積み重ねた結果です。

魔法も奇跡もないのが、それを期待した方には、申し訳ありませんが、ああしたものは、通常はないほうが良いようにも思えます…

                   ☆

私も多病ながら、いつの間にか五十を越えた年齢となり、そこまで生きてしまうと、若い時以上に、自分の人生に責任を持たざるを得なくなってきます。

私などは、いろいろと悔しい思いをしてきたので、「このまま終わってなるものか」みたいな意識が、どこかに根付いています(別に、物騒なことを企てる気はありませんが)。

母が逝ってしまってから、そんな思いに、より一層、拍車がかかりました。

出版がらみのゴタゴタが終わり、その後しばらくしてから、まずは体から立て直そう、という気持ちになりました。

なにしろ、太りやすい体質ではあるのですが、二か月か三か月の間に、どっしりと脂肪を蓄えてしまい、何から何までが、悪い意味で、重く・過剰でした(泣)。

動けないし、見た目は悪いし、気分もどんよりして、そうなってくると、生活の何から何までが、だらしなくなってきます…すべてが、悪いほうに循環する。

…昔から、フィットネス方面には、強い関心を持っていましたが、踏み込めませんでした。

何しろ、当時の世相で、「うつ病」持ちで、面倒くさい家庭に育って、なんかぐだぐだしていた私が、そういう方面に飛び込めるはずもなかった。

ただ、そういうジャンルへの憧れは持ち続けていたから、ちょうど、この前の本の原稿を書き始める、その少し前から、とあるキックボクシングのジムに入会していました。

で、ぼちぼち通っていたのを、原稿が大変になって、その他も一斉に怒涛のように、大変になったので、「休会」していたのです。

原稿が世に出るまで、「休会」が約2年…

……それを、再開しよう、と決意しました。

五十代半ばを越えた、メタボとなった、運動音痴のおじさんが、第一線のプロの方々に、基本のところから、学びに出かけることとなりました。

まあ、自分の運動音痴ぶりというと、相当なレベルでして、義務教育時代をふくめて、いわゆる「体育」の成績で「3」(5段階)より上を取ったことがなく、「2」、「1」であることもしばしば…。

そこに、肥満だの「うつ」だの加わっては、もう、どうにもなりませんね。。。

ですが、今回は、最大のネックだった「うつ」は寛解していたので、気持ちは大丈夫でした。それが、良かったのか、「通うぞ」という決意を、なんとか維持でき、今はもう、ジム行ったり、運動するという時間が、楽しみで仕方がないのです…!

…そう、運動能力までもが、この年齢からでも、飛躍的に伸びたのは、感動ものでした。

本当のプロって、ノウハウすごい…強さもとんでもないですが。

…この話も、続く予定です。

お付き合いいただき、心より感謝いたします<m(__)m>

PS.

まだ画像が上手く貼れません。次第に改善する予定ですので、よろしくお願いします。

インスタントはダメだ…(2)

今日もよろしくお願いします<m(__)m>

この前の本で紹介しましたタッピング技法は、効果が高いものとして、推奨できます。

しかし、その他のメソッドはちょっと…特に「エネルギー」関連は、初期のころと比較すると、根幹になっている部分が相当に変質しているので……

この話は、このあたりにします。

自分には、スピリチュアルのジャンルで、何かを成し遂げようという思いがないから。

私の先生だった方も、そうだったように記憶しているのですが(ナチュラルスピリット社の存在すらご存じなかったし…)、急激に変容されたのかもしれません。

話はタッピングに戻ります。

その後の様々な体験からも、肉体に接触する技法は、端的にリラックス・弛緩を誘導しやすいし、やり方によっては、深いコミュニケーションや、それこそ「癒し」を、比較的容易に達成できるようです。

その代わり、労力が大きく、時間もかかります。

ですが、特別な資質を持って生まれたわけではない私のような人間には、そのあたりで十分だと思えます。

広範囲にわたる多数の人間に、それこそ「エネルギー」だけで、深い癒し効果を与えることができる、となると、歴史上でも、かなりレアな存在の聖者に限られてきます。

そういう方たちは、そのような力を行使できるかもしれませんが、そのための「代償」を払っています。「この世」で生きる以上、「この世」のルールは曲げられませんから(それこそ、「陰陽五行」などの話となるでしょう)。

異能を駆使しながらも、そうした「ルール」をスルーしているように見える人(それは不可能なのですが、一見、ある時点では、そのように見えたりする)もいます。

残念ながら、どうやら昔から、そういう人の背後なのか、内側なのか、よくわかりませんが、そこには、その人の本質ならぬ、得体の知れないスピリット的な「何か」が、まことしやかな顔をしているようです…

…これはもう、悲劇ですが、ある意味、変な欲望を専らにすると、「よくあること」のようです……

さて、タッピングなのですが、原稿と仕事、あと当時、施設に入っていた母の介護の資金繰りなどで、滅茶苦茶な生活を送っていた私は、ある時点で、タッピングをはじめとした、メソッドを、すっぱりと辞めてしまいました。

繰り返しになりますが、このあたりの消息については、今は詳述しません。

ですが、健康・資産ふくめ、自身の人生が日に日に、ボロボロに崩壊していくなかで、「これはどうかしている」と思わないほうが、どうかしているでしょう…。

「とにかく、この原稿は終わらせよう。契約したのだから」と決めました。

それで、あの本に書いた団体の事務局に数度、「辞める」旨を告げたのですが、受理されません…

今にして思えば、当時の私は、何から何までが、あまりに未熟な状態で、しかも、それを良しとしているところがありました。

たとえば、「姿勢」ひとつを取っても、まともな立ち方すら、出来ていませんでした。そもそも、「姿勢」がどういうものなのかすら、満足に把握していなかった。

それなのに、「自分の姿勢はとても良いものだ」と、なぜか、思い込んでいたのです。

……また、次回に「続き」とさせていただきます。

最後まで読んでいただき、心より感謝します。

「インスタント」はダメだ・・・(1)

本日も、よろしくお願いします<m(__)m>

この前の本の原稿執筆を通して、次から次へと試練が訪れたため、なんとかそれを通過できたのだから、必然的に成長することができました。

その試練の中でも、いちばんキツかったのは、母の死です…

心身ともに疲弊しきっていたときに、急激に体調を悪くした母が、あっという間に逝ってしまった。

…幸い、臨終に立ち会うことはでき、無事、葬儀も終えることもできましたが、こうした人生では一度しかない、深刻かつ重大な出来事も「利用」されたのは、心痛の極みです。

このことについては、またいずれ触れることとします。

前回記しましたとおり、執筆作業そのものが、触れたくない過去の「掘り返し」となったため、自分にとっては、おそろしく負荷の大きい作業でした。

実際、帯状疱疹を発症したりで、入院することが二度ありました。

しかし、仕事もありますし、執筆だけでなく、やらなくてはならないことが、たくさんあったから、入院といっても、一夜のみ。

睡眠時間もまともに取ることができない毎日でした。そんなときに、母が亡くなったのでした…

前回の本に書いた、様々なメソッドとかも、執筆をはじめた当時は駆使していました。

ところが、どんどん状況とか、悪くなっていく。そうしたことを、当時、先生だった方に何度報告しても、何も響かない。

最終的には、「この人、何考えているんだ?」というような内容のやり取りに終始するようになったため、以前から離れていた気持ちが、ついに切れてしまいました…

…本が出た後はもう、「なんでこんなことになるの?」と、笑ってしまうくらいひどい話のオンパレード。

たぶん、あの時点で自らの手で命を終わらせてしまう人とか、いるかもしれません(同じ体験を強いられたとしたら、という、たとえなのですが、不適切だったら、申し訳ありません)。

そうした時も、自分で入り込んだ「流れ」が継続してしまい、心身の苦しみを少しでも軽減したい…と思って、またぞろスピリチュアル世界の人たちと接触していました。

今だったら、絶対に、あり得ないチョイスなのですが、泥沼とはこのことです。

まあ、結果として、傷を深めるばかりだったという、笑うに笑えない事態を招きました。

もし、当時の私のような状態の友人がいたら、今の私なら、まずはちゃんとした病院で体を検査してもらうことと、しかるべき信頼できる筋のカウンセラーなりを予約して、裏付けのある心理療法を受けること、一定の期間、旅行に出てみること、ジムとかと契約して運動すること、食事内容を見直すこと、さらには、睡眠を見直すこと…

などを提案します(危ない状態じゃん、あらためて書いてみると。。。)。

そうすれば、まだ寿命があれば、体がいろいろとデトックスしてくれます。時間を味方にして、養生するほかはない。また、それで事足りるのです。

ところが、当時はそんな常識的なことすら、できませんでした。…そのあたりの消息については、うんざりするので、今は記す気にすらなれません…

思うに、あの本は、出すべきではなかったのではないか。

ちょっとした功名心に駆られ、後には引けない、と勝手に思い込んで(あるいは思い込まされて)、無理を押した結果がこれです。

…次回に続きます。書き直し書き直しで、くたびれました(笑)<m(__)m>

うつ病の話…を書きはじめるにあたって。

よろしくお願いします、ほていさんです<m(__)m>

ほかの話題から行こう、と決めていましたが、どうも、悩まされている方が多いようで、この話がタイムリーなのかな、と思い、記すことにします。

まず、「炎上」などは狙っていないのですが、注意喚起を兼ねて、身を守るために、書かねばいけないことがひとつ。

前、関わっていた「タッピング」の技術(TFTなどの、医療にも用いられているような、高度かつ専門的な内容の技法ではありません。あくまでも、民間療法的なものです)を用いたことで、私が、社会生活が至難といえる「重度うつ」状態から、短期間で完治に至った…という話が出回っているようですが、それは、違います。

おらくは、その話によって利権を得ることのできる人が、意図的に流布したデマに過ぎません。

私が、「社会生活が至難といえるような重度のうつ状態」に陥っていたのは、十七歳頃の、高校二年生の時です。

そして、家庭環境もあって、そのような状態でも私は通学を余儀なくされました。

そのために、心身ともにさらに傷つき、疲弊する深刻な結果を招き、数度の自殺未遂その他、その後の人生を大きく左右する事態を招くこととなりました。

このあたりの「いきさつ」については、後に触れることになると思われますが、最初にまず、はっきり言いたいことがあります。

「重度うつ」という状態に、人が陥るというのは、そうした疾患の経験のない人たちや、そのようになり得ない資質や環境にいる人たちには、おそらく想像できないほどの深刻なファクターが積み重なった結果です。

何が言いたいのか、というと、

そう易々と人様の前で開陳できないような、非常に痛切で、私的な要因に満ち溢れているわけで、そうしたものを、安易に取り扱ってほしくない、まして、目先の欲望を満たすために、セールストークの一環として、虚偽をふくめた軽い弁舌に載せてほしくはないのです。

しかるに、私が通常知りえないところで、「ないこと・なかったこと」が大幅に盛り込まれた話が、なんらかの目的のために展開されているというのは、非常に腹立たしい話です。

今回、うつ病に関する私的な体験に基づいた話をはじめるのは、真相を話し、幻想を壊そうというのがひとつ。

あと、当事者だから語れる(当事者と、そこに利害関係を二の次にして深くコミットした人間でなければ、その人の病状の奥底について、安易に語るべきではない、とさえ、私は思っています)内容と、

どのようにして、たとえ長期にわたったとしても、そこを抜け出し、いわゆる「寛解」したか、という内容を開示することが、

同じような症状や状況その他に苦しむ人たちの一助となるかもしれない、と考えたからです。

いかに寛解した、今は「陽気なおじさん」だ、といっても、ここまで書いてきた時点で、全身に「ブロック」が浮き出し、緊張を強いられる状態となっています。

この前の本を書いたときも、少し「うつ病当時」を振り返ったことで、大きなダメージが出て、刊行後、しばらく不調が続きました。

あれから、さらに進境し、成長し、「うつ病」関連についても、理解を深めたし、治癒も捗りました。

…にも関わらず、今なお、苦しみがかなりあるな、と認識できます……

でも、放置しておくと、良くないことのほうが多そうですから、さんざん、私を苦しめ、足を引っ張りまくった「うつ病」さんに、働いて役立ってもらおうと思っています (笑)

長くなりました。次回は、明後日の予定です。

また、よろしくお願いします<m(__)m>

はじめまして、「逆境サバイバー」です…!

雑貨店foonineを運営しています(BASEにて。).

少し前に、「布袋ジョージ」という名前で、ナチュラルスピリットさんから本を出しました。

…それから数年。

現在は、本に書いた手法や、それを教えている人たちとは関係がありません。

そもそも、ナチュラルスピリットが扱うような、「スピリチュアル」のジャンルには、関わっていません。

そのあたりのいきさつについては、またいずれ、書いていくことになるかもしれません。

今、書いても良いのですが、あんまり面倒くさいことをしたくないのもありまして…

いずれ、様々な局面で整理がついたら、(そして、そんな話に興味のある方がいらっしゃるのなら)、書いてみます。

とりあえず、今回はワードプレスでのブログ初回です(以前は、アメブロを使っていました)。ぜんぜん、慣れないのです…。

そもそも、こうしてワープロを使って人様に読んでいただくための文章を書く、というのが、たぶん、二年ぶりくらいになります。

調子が出るまで、思いつくままに……。

                ☆

先日、ある知人から、

「印税で潤いましたか?」

などと問われました。なんとなく流布しているイメージかもしれません。

印税という形で、臨時収入が不労所得の一環として、絶えず口座に流れ込んでくる、というもの。

ところが、紙媒体の本の著者となると、そんなイメージ通りの体験をする人(つまり、印税で潤っている人)となると、かなり数は限定されると思われます。

ぼくの場合などは、四苦八苦して仕上げた原稿(専業ではないにしても、諸事情から二年かかりました)でしたが、今のところ、印税その他、手にした金額は雀の涙です。

そして、そのお金も、仕事も、瞬く間に、ある人物になかば強奪のような形で持っていかれてしまいました。

どこかで耳にした噂で、「スピリチュアルの世界ほど、謡っていることとは裏腹な、魑魅魍魎が跋扈している業界はない」というのがありました。

なるほど、その通りだ、と肌身で痛感するような経験を、特に自著がらみで、嫌というほど味わうことになりました。

そんなこんなで、自著でかなり話を盛りながらも、プッシュした手技も、気持ちが白けてしまって、到底続ける気になれなくなりました(それ以前より、ある理由から、やらなくなってはいたのだけれど…)。

それを創始し、教えている先生や、その団体とも、とてもではないけれど、これから一緒にはやっていけない、と思うようになったのです。

特に、あの先生とは、二度と関わりたくない…。

話が曖昧で申し訳ないのですが、「いったい、どういうことがあったのか?」、の内容は、つぶさに振り返っていけば、かなりの分量になってしまいます。

                   ☆

当事者である私も、正直、訳がわからなかった。

時間をかけ、様々なジャンルの人たちと触れ合ううちに、全貌が見えてきました。

いきなり、そんなものを開陳するのも気が引ける内容です。

ぐだぐだするので、このあたりで。

このブログでは、私の体験や、そこで得られた「何か」みたいなものを書くつもりです。

また、途中、寄り道することも多かったので、そこで仕込んだ、サブカル的な話その他…いつの間にか、「逆境サバイバー」というあだ名をつけられました。

ひょっとしたら。読んでくれた方が、なんらかのヒントを拾えるかも…それなら、苦しんできたことも、少しは報われるかも、と思っています。

よろしくお願いします。

スピリチュアル雑記