「インスタント」はいけません(1)

本日も、よろしくお願いします<m(__)m>

この前の本の原稿執筆を通して、次から次へと試練が訪れました。

今になって、なぜ、あれほどにキツいことが起こったのか、その理由が見えてきましたが、それについては、今、ここでは記しません…

そうした経験から、いくつかのアドバンテージを見出さなくてはなりません

たとえば、苦難を「学び」ととらえなおすことができれば、本当の意味で「先」に進むこともできるわけです。

……以前の私ですと、手痛い体験・苦難が訪れたら、そこで「メソッド」などを用いて、マイナスの感情を抜き取り、さらに潜在意識を浄化して……ということをしていました。

ところが、今回怒涛のように押し寄せてきた、様々な難題は、そのようなことでは、さばききれませんでした…

私に訪れた苦痛のなかで、いちばんキツかったのは、母の死です…

心身ともに疲弊しきっていたときに、急激に体調を悪くした母が、あっという間に逝ってしまった。

…幸い、臨終に立ち会うことはでき、無事、葬儀も終えることもできましたが、こうした人生では一度しかない、深刻かつ重大な出来事もマーケティングに「利用」されたのは、心痛の極みです。

この件については、またいずれ触れることとします。沈黙する気はありません。

執筆作業そのものが、触れたくない過去の「掘り返し」となったため、自分にとっては、おそろしく負荷の大きい作業でした。

実際、帯状疱疹を発症したりで、入院することが二度ありました。

しかし、仕事もありますし、執筆だけでなく、やらなくてはならないことが、たくさんあったから、入院といっても、一夜のみ。

睡眠時間もまともに取ることができない毎日でした。そんなときに、母が亡くなったのでした…

前回の本に書いた、様々なメソッドとかも、執筆をはじめた当時は駆使していました。

ところが、どんどん状況とか、悪くなっていく。そうしたことを、当時、先生だった方に何度報告しても、何も響かない。

最終的には、「この人、何考えているんだ?」というような内容のやり取りに終始するようになったため、以前から離れていた気持ちが、ついに切れてしまいました…

…本が出た後はもう、「なんでこんなことになるの?」と、笑ってしまうくらいひどい話のオンパレード。

たぶん、あの時点で自らの手で命を終わらせてしまう人とか、いるかもしれません(同じ体験を強いられたとしたら、という、たとえなのですが、不適切だったら、申し訳ありません)。

そうした時も、自分で入り込んだ「流れ」が継続してしまい、心身の苦しみを少しでも軽減したい…と思って、またぞろスピリチュアル世界の人たちと接触していました(爆)

今だったら、絶対に、あり得ないチョイスなのですが。

当時は破れかぶれというか、どうにでもなってしまえ!という気持ちが強くあり、おそらく、「死にたい」と思っていました。

そうなると、事態が好転するわけもありません。

泥沼とはこのことです。

まあ、結果として、傷を深めるばかりだったという、笑うに笑えない事態を招きました。

もし、当時の私のような状態の友人がいたら、今の私なら、まずはちゃんとした病院で体を検査してもらうことと、しかるべき信頼できる筋のカウンセラーなりを予約して、裏付けのある心理療法を受けること、一定の期間、旅行に出てみること、ジムとかと契約して運動すること、食事内容を見直すこと、さらには、睡眠を見直すこと…

などを提案します(危ない状態じゃん、あらためて書いてみると!

わざわざ、得体の知れない潜在意識の大海に潜り込むような危険な真似はしないことです。

もし、それをするのならば、専門的な知識と権威をもち、経験のあるプロフェッショナルと長い時間をかけて、慎重に取り組まないといけません。

ところが、当時はそんな常識的なことすら、できませんでした。…そのあたりの消息については、うんざりするので、今は記す気にすらなれません…

思うに、あの本は、出すべきではなかったのではないか。

ちょっとした功名心に駆られ、後には引けない、と勝手に思い込んで(あるいは思い込まされて)、無理を押した結果がこれです。

…次回に続きます。書き直し書き直しで、くたびれました(笑)<m(__)m>