久しぶりの投稿となります。
今回は、夏にふさわしく、私のささやかで、数少ない心霊体験のひとつを語ろうと思います。タイトルにも記したとおり、あくまで「ニアミス」に過ぎないものですが、いまだに生々しい感触のようなものを心に遺しています。
昭和の時代、まだバブル景気の前のことです……私が、小学校の高学年(たしか五年生あたり)の頃で、私が住む都内の某区は、まだ緑が濃く、夏にもなると、セミの声がやかましいほどだった記憶があります。
夏休み前後の事件だったように記憶しているのですが、当時の新聞の夕刊で、三面に大きく掲載された惨事がありました。
それは、高速道路で居眠り運転をした女性教師が、中央分離帯に衝突して、車は大破、本人は即死した、という痛ましい内容のものでした。
この事故が、三面記事で大きく取り上げられた理由はわかりませんが、当時、そんなものに目を通さない学童の私が、どうしてそれをよく知っているかというと、自宅で父が、
「おい、これ、お前の学校の先生じゃないのか?」
と、私にその紙面を突き付けてきたからです。
……私は、その「先生」の名前は知りませんでした。
しかし、その女性の勤務先とされているのは、たしかに、当時の私が通っていた、公立の小学校でした。
新聞という公器に大きく掲載されるような事件が、いきなり自分の実生活とリンクするというのは、気持ちの良い体験ではありません。
まして、いかに悲劇だとはいえ、惨事です。自分が肌身で接触したものではないのに、なんらかの形で、強引にそれに巻き込まれてしまった、というと大げさですが、ちょっとそれに近い、厭な感じがしてなりませんでした。
とはいえ、やはり元気な頃ではあります。
翌日は、そんなことは忘れて、いつも通り登校したのでした。
日差しの明るく、きれいな朝だった記憶があります。
登校の道のりで、親しい友達と、次々に出会い、そのまま喋ったりはしゃいだりしながら、学校に向かうのが常でしたが、そのときは、とりわけ親しくしていて、いつも登校時は別々の、友達が二人、一緒でした(二人とも、男の子、です。この二人とは、自宅の位置の関係で、登下校が一緒になることは、ほとんどなかったのですが、どういう事情でこのとき一緒だったのか、わかりません)。
三人で何か愉快なことを喋りながら、校舎に入る。そして、いつも通り、教室のあるフロアへの階段を昇る。
――そのとき、私は、おそらく運が良かったのか、あるいは何かに守られていたのか、ずっと視線を足元に落としたままでした。
つまり、うつむいたまま、階段のステップを見ながら、それを昇っていたのです。
そんな私の耳に、一緒に階段を昇っている、二人の友達の明るい声が、はっきりと聞こえました。
「おはようございます!〇〇先生!!」
……異変に気付くまでに、さほど時間がかかりませんでした。
私は驚嘆して、戦慄しながら顔を上げたのです。
なにしろ、友達二人が揃って口にした名前は、まさに、昨夜、夕刊に記載されていた、高速道路で事故死した、女性教諭のものだったからです……。
私は、狼狽しながら周囲を見回したものの、幸い(?)女性教師らしき人影はありませんでした。
しかし、おそらく青ざめて、度を失った私の様子に、友達たちがすぐに気が付きました。
「どうしたの?」
「え?だって、ほら…! 知らなかった? 〇〇先生、って。昨日…」
たしか、そんな言い方で、察してもらおうとした覚えがあります。なにしろ、事件その他の、自分の知る限りの詳細を口にすることは、憚られたのです――死者を悼んだのではなく、もし、そうしてしまえば、死者が眼前に姿を現すかもしれない、と危惧したのです。
同じような気持ちを、二人の友人はほぼ同時に抱いたのでしょう。彼らはもうすでに、「出会って」しまっているのですが、それ以上の浸食を、許容できるわけはありません。
だから、なのか、彼らは急に、キツネにつままれた、というのか、あるいは、ぶっきらぼう、というのか、ある種の、表情のまったくない顔になって、ほぼ同時に、こう言い放ちました。
「何言ってんだよ! 誰にも会ってねえよ!」
力のない断言でした。そしてそのまま、彼ら二人は、おそらくその日のうちに、この体験のことを、すっかり忘却してしまったのです!
……後に、いわゆる心霊体験、恐怖体験というものをする人の、かなり多数が、このときの二人のような態度を見せることに、私は気が付きました。
忘れる、あるいは忘れたふりをして、そのまま、思い出さないように全力を尽くす。
あるいは、たしかに「それ」を体験している、その最中に、おそらく、あらゆる感覚を閉ざして、現象をやり過ごしてしまう…
そして、後になって彼らは、当時の友人たちと、ほぼ同じことを言うのです。
「何言ってるんだよ! そんなこと、起こってないよ!」。