キックボクシングを再開した頃は、心身ともにズタズタになっていて、もう二度と、スピリチュアルだの、原稿仕事だの、やりたくない、やらない! という気分でした。
ああした世界にいる、タチの悪い人(ふつうに数多いようですね。)となると、人をそんな気持ちになるまで、手練手管で追い込んでも、彼らなりの言い逃れがあるのですね。
「業の清算」とか、「すべては自己責任(その人の現実はその人が作ったもの=そこにいた「私」は悪くない)」とか、「前世の所業が悪かったから」とか、「試されている」とか、この頃は心理学や、量子力学などのタームが、じつにお手軽に使われるようになっていますから、そっちの方を真面目にやっている人は、うんざりしているのではなかろうか…
…話が逸れました。
あまりにがっかりしたので、まずは仕事に没頭するよう、心がけたものの、疲れたときや、集中が乱れたときとかに出てくる「雑念」がもう…後から後から、怒りや憎しみ、悲しみなどが湧き出してきて、そこに、当事者たちの顔が浮かんできます。
悪いことに、それが日に日に深まっていき、いろいろなトラウマなどと連結します。
…仮にここで、やめてしまった、タッピングその他の「メソッド」を駆使したとしても、かえって事態を悪化させたことでしょう。
本当に対峙しなくてはならないような、自分の奥底に秘められた、ある種の「テーマ」と向き合うには、ああした方法では無理なのです。
そのような「問題」に当たるには、どうやら、何から何まで、自前で、この世から見つけ出さなくてはならなくて、試行錯誤を繰り返しながら、全身全霊でやって行くしかないようです…
そこで、方法や、師匠などに、いわば「逃避」してしまうと、下手すると、一生の残りの時間すべてが、台無しになってしまう。
…そんななか、休会していたキックボクシングのジムに、「ストレス発散」とばかりに、通いはじめたのですが、そのジムが、「超・本物」だったのです。
…そういう所にありがち、なのだと思えますが、別に、「うちは凄い!」とか謡っているわけではありません。
また、通いはじめても、こちらのニーズに合う何かを、さりげなく、しかも一切、高圧的なところなく、丁寧に教えてくれ、その相手をしてくれるだけで…別段、何か変わったところなどはないのですが…
どれほどキツイ練習になっても、充実感とかが分厚く、帰り道その他、ジムでインストラクターに言われた、何気なく思えた一言が、じわじわと(いい意味で、ですよ)浸透してきます。
…などと書くと、なんだか私が、ずいぶんハイレベルなようですが、単に年齢を重ねたくらいのものです((笑)
なにしろ、キック再開、といっても、最初の頃は、脚が上がりませんでした。
錆びついているうえに、アブラが回りすぎていて…笑い話ではなく、腹回りに余分な肉が付きすぎていたから、それが邪魔します。
体全体がバキバキに硬くなっていて(つまり、老化が進んでいて)、心肺機能も劣化し、姿勢は猫背で、しかも反り腰気味、呼吸はいつも浅い。
筋肉量が著しく低下していたばかりか、日ごろの心掛けがものを言う「体幹」などは、ヘロヘロの状態でした。
復帰後、最初のレッスンで、汗みずくになり、息も絶え絶え、目にカスミがかかったようになって、半死半生の帰路、
「煙草を止める!」
まずは、そこからはじめることにしました。
一日、ひと箱では済まない、かなりのヘビースモーカーでした。
やめよう、やめよう、と何度思っても、当たり前のように挫折を繰り返し、それこそ、潜在意識に「失敗」の痛手を植え付け続けてきたのです。
だから、そのときも、「この決意がいつまで続くのだろう…」という不安もありました。
ところが、です。
その夜から、本当に、スッパリと禁煙してしまい、そのまま、数年が経過しています。
次回は、なぜ、禁煙が成功したのか?
について、私のアホ頭で展開してみます。
最後まで読んでくださったことに、深く感謝します<m(__)m>