本日も、よろしくお願いします<m(__)m>
この前の本の原稿執筆を通して、次から次へと試練が訪れたため、なんとかそれを通過できたのだから、必然的に成長することができました。
その試練の中でも、いちばんキツかったのは、母の死です…
心身ともに疲弊しきっていたときに、急激に体調を悪くした母が、あっという間に逝ってしまった。
…幸い、臨終に立ち会うことはでき、無事、葬儀も終えることもできましたが、こうした人生では一度しかない、深刻かつ重大な出来事も「利用」されたのは、心痛の極みです。
このことについては、またいずれ触れることとします。
前回記しましたとおり、執筆作業そのものが、触れたくない過去の「掘り返し」となったため、自分にとっては、おそろしく負荷の大きい作業でした。
実際、帯状疱疹を発症したりで、入院することが二度ありました。
しかし、仕事もありますし、執筆だけでなく、やらなくてはならないことが、たくさんあったから、入院といっても、一夜のみ。
睡眠時間もまともに取ることができない毎日でした。そんなときに、母が亡くなったのでした…
前回の本に書いた、様々なメソッドとかも、執筆をはじめた当時は駆使していました。
ところが、どんどん状況とか、悪くなっていく。そうしたことを、当時、先生だった方に何度報告しても、何も響かない。
最終的には、「この人、何考えているんだ?」というような内容のやり取りに終始するようになったため、以前から離れていた気持ちが、ついに切れてしまいました…
…本が出た後はもう、「なんでこんなことになるの?」と、笑ってしまうくらいひどい話のオンパレード。
たぶん、あの時点で自らの手で命を終わらせてしまう人とか、いるかもしれません(同じ体験を強いられたとしたら、という、たとえなのですが、不適切だったら、申し訳ありません)。
そうした時も、自分で入り込んだ「流れ」が継続してしまい、心身の苦しみを少しでも軽減したい…と思って、またぞろスピリチュアル世界の人たちと接触していました。
今だったら、絶対に、あり得ないチョイスなのですが、泥沼とはこのことです。
まあ、結果として、傷を深めるばかりだったという、笑うに笑えない事態を招きました。
もし、当時の私のような状態の友人がいたら、今の私なら、まずはちゃんとした病院で体を検査してもらうことと、しかるべき信頼できる筋のカウンセラーなりを予約して、裏付けのある心理療法を受けること、一定の期間、旅行に出てみること、ジムとかと契約して運動すること、食事内容を見直すこと、さらには、睡眠を見直すこと…
などを提案します(危ない状態じゃん、あらためて書いてみると。。。)。
そうすれば、まだ寿命があれば、体がいろいろとデトックスしてくれます。時間を味方にして、養生するほかはない。また、それで事足りるのです。
ところが、当時はそんな常識的なことすら、できませんでした。…そのあたりの消息については、うんざりするので、今は記す気にすらなれません…
思うに、あの本は、出すべきではなかったのではないか。
ちょっとした功名心に駆られ、後には引けない、と勝手に思い込んで(あるいは思い込まされて)、無理を押した結果がこれです。
…次回に続きます。書き直し書き直しで、くたびれました(笑)<m(__)m>